長老の任命基準がおかしいと思う

 僕は、長老の任命に関して、言いたいことがある。それは、長老の質が悪くなるのは、組織の長老の任命の基準が悪いからだ。組織は、問題が起こったときに、自分の責任を逃れて、長老や奉仕の僕のせいにしがちだけれど、ちょっと待ちなさいよといいたくなる。

 現在の長老の任命基準は聖書とはほとんど関係がない。反対に、外面的な組織への貢献度が任命の基準になっている。たとえば、開拓奉仕をしているとか、集会にも公開講演にも休まないとか、組織に従順であるとか、事務的な作業をミスなく行うことができるとか、組織の内密を守ることができるとか、そういう外面が基準になっている。

 それなら、問題が起こることは、当然ではないのではないかと思う。公正について、きちんと考えてくれる長老は、任命されないということだ。問題に取り組んでくれる姿勢がある長老がほとんど任命されないということだ。

 アブラハムは、エホバに食いかかった。ロトがまだソドムにいたからだ。そして、エホバはアブラハムの願いを聞きいれた。こういう気概のある長老がほしい。

 現在のエホバの証人は、組織の内密を守ることばかりを考えたり、組織の益を弁護するばかりの長老だらけになってしまっている。こういう長老が8割以上を占めてしまっている。任命の基準が、そもそもおかしいのだということに、気がついたほうがいいと思う。

 今まで、公正、自由、愛について、きちんと考え、葛藤してこなかった人が、長老に任命される。そして、組織は、長老に権威を与える。これは、子供が包丁を振り回しているようでとても危ない。長老たち自身は、よいことをしているという勘違いに陥ってしまっていて、自分が包丁を振り回しているということが自覚できない。