人のことを影で悪くいうこと

 僕には、本音と建前という文化がよくわからない。その、なんというか、僕の前で、にこにこしている人たちは、影で悪口を言ったりしているということだ。本人の口からは、聞こえてこないけれど、うわさをしていれば、どこかからはもれてくる。

 うわさ話の動機は、ストレスの発散だ。意識的にしろ、無意識にしろ、うわさ話や人の悪口を言ったりするというのは、本人が周囲の空気から暗黙の圧力を受けているというところにあるように思える。

 だから、自分について、楽しめていないので、人の評判を落とすことによって、その人の価値を下げるということが楽しみになる。周りからの評判からでしか、行動できない人になってしまう。

 自分自身が外部の空気によって拘束されている人は、はっきりと、真摯に、公正に、言葉を出す人を憎む。その人を邪魔な人のように感じて、うわさ、悪口、根拠のない嘘によって、その人の価値を落とそうとする。

 そういう行動は、長い目で見れば、自分の評判を落としてしまいます。反対に、真実に固くつくこと、公正のための言葉を出すこと、これは、短期的には憎まれますが、長い目で見れば、価値があります。

 うわさ話、悪口、根拠のない話には気をつけてください。多くの長老たちも、根拠のない話を、会衆に広めて、ある人を無視させるということを行っています。ぜひ、周囲の評判によって、判断するというのではなくって、本人の言葉を信じる必要があります。

 そうしなければ、罪のない人を罪に定める結果になってしまいます。イエス・キリストも、罪がなかったのに、宗教裁判にかけられて、処刑されてしまいました。パリサイ人は、噂話、悪口を語って、罪のない人を、強引に罪に定めて、命を奪ったのです。

こうして,彼らはその日以来,[イエス]を殺そうとして相談した。
(ヨハネ 11:53)

 ですから、パリサイ人に見習いたくありません。