神に祈りを聞いてもらった実感があれば、人の話にもきちんと耳を傾けてほしい

 人と神との関係については、聖書のたくさんの箇所で語られています。たとえば、神に許してもらったのであれば、あなたも人を許しなさいですとか、神の愛を知ったなら、あなたも同じように人を愛しなさいですとかです。

 与えられて神に感謝しているのであれば、同じように人にも与えていきなさいとか、そういう考え方です。

 神は祈りを聞かれる方です。祈りを聞くというのは、すぐに実現させるという意味ではなく、耳を傾けてくれるという意味です。エホバはご利益の神ではなくって、祈りを聞く神なのです。この違いをよく理解していないと、神に対して、いらだつことになります。

 エホバは、早く実現させる神でも、いつまでも行わない神でもなくって、祈りを聞き、よく事情を配慮し、秩序を保ちつつ、時が満ちたときに実現させる神なのです。エホバは、約束を守る方、実際に行う方、祈りを聞く方です。

祈りを聞かれる方よ,あなたのもとに,すべての肉なる者は来るのです。
(詩篇 65:2)

 長老たち、よく耳を傾けてください。聞くことに早く、語ることに遅くあってください。兄弟・姉妹の意見や言葉を聞き入れることは、神権的な方法ではないといって、話をさえぎらないでください。神は、求める人すべての祈りを聞かれる方なのです。ですから、それにぜひならってください。

 そして、個人個人の事情を考慮してください。個人個人の状況を考慮することなしに、一方的に裁くということはぜひおやめください。アブラハムが、神に懇願した仕方を思い出してください。エホバ神は、不敬と言って、一方的にアブラハムを裁いたのでしょうか。

 いえ、その言葉に最後まで耳を傾けて、アブラハムの願いを聞き入れました。まだソドムには、ロトというアブラハムの兄弟がいたのです。神が話を聞き、事情を考慮する方なのであれば、長老たちも、それに見習うのがよいのではないですか。

 イエスは、いつでも人の事情を考慮しました。姦淫で石打ちにされそうになった女性、少しの硬貨しか寄付できなかったやもめ、高価な香油を頭に注いだ女性など、イエスは、誰一人として、責めなかったではありませんか。言葉や行動をさえぎったりもしませんでした。

 イエスは、父を知っていました。祈りを聞き、考慮される方であるということを。ですから、僕たちも、同じようにしていきませんか。