わたしと結びついていないなら実を結ぶことはできません

 イエス・キリストは真のぶどうの木、父は耕作者です。父は、耕作をする人にたとえられています。イエスは、父に育てられたぶどうの木です。

 イエス・キリストと結びついてよい実を生み出す枝には、父はさらによい実を生み出すようにされます。反対にしっかりと結びついておらず、よい実を生み出さない枝は、切られてかまどに投げ込まれます。

 罪が洗われたというのは、イエスの言葉ゆえに清いという意味です。父は愛する子を地上に遣わしましたが、子を受け入れるゆえに、罪があっても、義なるものと宣言してくださるのです。

 何を行うにしても、わたしたちは神のものです。ですから、神の言葉に従って生きる必要があります。神と宗教組織がぶつかるときは、神を選びましょう。聖職者が嘘をいうときは、できるだけ心を離れた場所におくようにしましょう。

 よい実を生み出すためには、イエス・キリストとしっかり結びついている必要があります。もし枝が木から離れているなら、養分を得ることはできません。それと同じように、よい実を結ぶためには、真のぶどうの木であるイエスにしっかりと結びついている必要があります。

 イエスの名をかたって、権威をふるう人にではなくって、イエス・キリスト自身にしっかりと結ばれるようにしましょう。

枝がぶどうの木にとどまっていないなら、それだけでは実を結ぶことができないのと同じように、あなた方もわたしと結びついたままでいないなら、[実を結ぶことが]できません。
(ヨハネ 14:23)