無視をさせる解決策はよくないんじゃないかなぁ

 会衆の中で不和が持ち上がったときに、無視させる解決策というのは、僕はとてもよくないと思っています。

 たとえばある姉妹が、ある兄弟と不和を抱えて長老に「もうあの兄弟とは、もう一緒に奉仕とか、一緒の作業をしたくないです」と相談にきた場合とか。

 研究生のうちは、会衆はみんな仲がよいと思っているんだけれど、実際には、兄弟・姉妹の不和や無視というのは、会衆の中の根深い問題となっている場合が多いような気がする。

 きっと個人的な好き・嫌いで判断しちゃうんだよね。みんなエホバの元にいる家族なのにね。不和や無視する関係をそのままにしておいて、奉仕に出かけていって、教えの本で「世界的な兄弟関係はとてもよいもの」というところを教えるときに、良心は痛まないのかなぁ。

 ばれないと思うのかなぁ。エホバはご存知なのにね。

 次の聖書の言葉を黙想して、熱烈に祈って祈って、悪い感情をエホバに取り除いてもらうのがいいと思う。すっきりとした気持ちで奉仕にでかけたいね。

「それで,供え物を祭壇に持って来て,兄弟が自分に対して何か反感を抱いていることをそこで思い出したなら,あなたの供え物をそこ,祭壇の前に残しておいて,出かけて行きなさい。まず自分の兄弟と和睦し,それから,戻って来たときに,あなたの供え物をささげなさい。
(新世界訳聖書 マタイによる書5章23-24節)

 供え物を捧げるというのは、エホバへの奉仕だから、これは宣教奉仕にも適用ができる。だから、兄弟の間で不和を抱えているならば、まずはそれを解決してから、奉仕にでかけていくというふうに適用ができる。

 奉仕をしてさえいればエホバは喜ばれるのではなくって、エホバが喜ばれる奉仕をするためには、まずは会衆内の不和を解決しなくちゃいけない。神と隣人への愛が基盤になっていないと、奉仕は良いものにならないと思う。

 もし不和や無視する関係を自分自身が持っているなら、エホバに熱烈に祈り求めて、助けをお願いするのがよいと思う。聖霊は心を和らげて、嫌悪感や怒りを取り除いてくれるよ。それほど大きな問題ではなかったと気づくことができるかもしれないよ。