エリート主義、能力主義

 日本のエホバの証人を腐敗に追いやりかねない考え方。ある点においてできないことがある兄弟を見下す考え方。能力のある兄弟は誉めて、そうではない兄弟には厳しくする方法。

 学歴主義というのは、遠くはない昔に日本人全体が陥ってしまった罠でした。受験勉強をして良い学校をでて、良い企業に就職して、たくさんの名誉やお金を得る。そのような生き方には、価値があると、日本全体が思ってしまった時代が遠くはない昔にありました。

 子どものころから、塾に行かせて、親の言うとおりの道に進むような生き方を親が強いっても、それがおかしくはないと思う時代が、少し昔の日本にはありました。

 エホバの証人だけが間違った歩みをしたわけではないし、クリスチャン会衆が世の傾向をそのまま受け入れてしまうことに問題がある。

 エホバの証人は学歴主義とは無縁ではなかったし、学歴主義を、ゆがんだ形で、エホバへの崇拝に取り入れた。

 それはね、ギレアデ宣教学校やベテルをを頂点とするような考え方だ。開拓者としての行き方をよしとして、それ以外の生き方をよしとはしないというような考え方だ。高校を卒業して、開拓者であれば立派、そうでなければ立派ではない。高校を卒業して、開拓者であれば模範的、そうでなければ、模範的ではないという考え方。

 長老であれば模範的、集会を休みがちであれば模範的ではないという考え方。神の崇拝と呼びながら、神の崇拝とは何の関係もないものが、会衆の中に忍び込んでくる。

 エホバの証人になれば何を目指しますか、開拓者を目指します。開拓者になれば何を目指しますか。奉仕の僕を目指します。奉仕の僕になれば何を目指しますか。ベテル奉仕を目指します。ベテル奉仕ができれば何を目指しますか。長老を目指します。長老になれば何を目指しますか。巡回奉仕を目指します。

 世間体はよく見えるね。ちやほやされる。結婚もしやすいかもしれない。誉ある地位を得ているという感覚を得ることができるね。

 でもね。よーく考えてね。僕たちが歩んでいるのは「永遠の命」への道なんだ。パウロはね、永遠の命という特権に比べれば、他の全ての特権はくずと言った。命の道のために、イエス・キリストと共に苦しむ特権に比べれば、他の全ての特権はくずと言った。

 パウロは、パリサイ人として宗教的にとても良い立場を得ていたけれど、イエスの道のために、そのすべての特権を失うことを恐れませんでした。

 パウロは、人が与える人から誉れを受ける賞ではなくて、神が与えて神から誉れを受ける永遠の命という賞をを追い求めました。これは神の権威を借りて、人が与える賞ではなくて、本当にエホバ神がイエス・キリストを通して、僕たちに与えてくれる賞だ。

 学識のあるエリートや能力の高い人が受ける賞ではなくて、エホバから見て義を保って、柔和な人が受けることのできる賞だ。

 巡回監督や長老たち、本当に神の義を第一にしていますか。それとも、能力が高く見える人をひいきして、そうではない人や、自分の目にかなわない人には厳しくしますか。体裁よくしている兄弟・姉妹にはよくして、不器用な兄弟・姉妹にはいらだちますか。それは神の方法ですか。それとも、人の方法、あるいはサタンの方法ですか。