人によって態度を変えること

 人によって態度を変えるというのは、よくないと聖書に書かれている。集まりの席で、お金持ちの人にはよい席を与えて、そうではない人には悪い席を与えた人の話がでてくる。

 自分によいものを与えてくれる人を優遇して、そうではない人に邪険にあたっちゃいけない。たとえば自分に地位を与えてくれる人のいうことはよく聞いて、自分が地位を与える立場にある人には厳しく扱う。こういうのはよくない。

 特に地位をちらつかせて、その人をコントロールするのは最悪のことだと思う。お気に入りの人には優しく、そうでない人には冷たく扱う。バプテスマを受けたころは優しかったのに、責任という言葉をちらつかせて、だんだんと態度を威圧的に変化させていく。こんなのもよくない。

 奉仕の僕というのは、どんな人が担うと述べられていますか。巡回監督や長老は、それ以上のことを求めていませんか。聖書で述べられている霊的な資質以上の能力を求めていませんか。

 仕事をてきぱきとこなすエリートが長老や巡回監督になるのですか。そのようなことは聖書のどこに書いてあるのですか。聖書に書かれている以上のことを求めることによって、人間の言葉で支配をしようとしていませんか。

 仕事ができる人が、仕事をできない人を責めるのですか。それでは、クリスチャン会衆は世と何が異なるのでしょうか。僕たちは何か立派で厳格な派に属しているのですか。それとも神の言葉に忠実なのでしょうか。自分に従順な人を神の奉仕者として推薦するのでしょうか。それとも神の言葉に対して従順な人ですか。

 イエス・キリストが、エホバへの道で、永遠の命への道です。それで、この道に導くことが監督の役割なのではありませんか。指導とは導くという意味で、真理の道であるイエスへと導くことが仕事です。それとも、自分に従わせることによって、人の道へと導くのでしょうか。