金銭への愛はあらゆる有害な事柄の根です
お金を追い求めること、これは有害な事柄の根になります。
金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです。
(新世界訳聖書 テモテへの第一の手紙6章10節)
この原則は、個人においても、会衆においても、エホバの証人全体においても、当てはまる原則です。ダブルスタンダードではない原則です。金は身の守りとなるので、お金は必要ですが、必要な分だけあればよいです。
イエス自身はどういったかというと、「多くの富は売って、貧しい人に与え、それから、わたしの追随者になりなさい」と言いました。「わたしの追随者になって、わたしに寄付しなさい」と言ったのではなくって「貧しい人に与えて、それからわたしの追随者になりなさい」とおっしゃりました。
エホバに対する崇拝はお金によるのではなくって、霊と真理によります。多くの宗教は「宝を天に蓄えなさい。地上に蓄えても意味がないのです。」といって、宗教組織に対して多額の寄付を求めます。
これはさまざまな形態があると思われます。霊感商法によってつぼを買わせることや、葬式で多額のお金を取ること、戒名で何十万も支払わせること、結婚式で何百万ものお金をとること、墓石に何百万円ものお金を取ることや、お払いと称して多額のお金を要求することなどです。またすべての財産を没収するための方法を画策するなどの方法があるでしょう。
いうことはとてもよいことを言います。それはあなたのためになりますといいます。また反対に、家族が不幸になりますよと脅しをかけます。他の人もやっているんですよといって、人による恐怖を抱かせます。
宗教と名乗りながら、実質的な行為としてはお金を求めます。神への信仰というのは、生き方であるはずだったのに、時代を経るにつれ、商業主義と結びついてしまいました。寄付をすれば、ご利益があるというふうに間違った方向に導かれていってしまいました。
またもっと悪いことに、寄付をしなければ、悪いことになるという風に、脅すこともなされています。それも亡くなった人の死によってです。とっても僕はひどいことだと思います。
まことの神はそんなことをしません。死んだ人を塵に返すので、供養するための対価を求めたりはしません。1回忌、2回忌とそのつどに、死んだ人のために金銭を求めたりはしません。
そうではなくって、まことの神エホバは死んだ人を記憶の中にとどめてくださっていて、復活させてくれることを約束してくださっています。ぜひ聖書を読んで、まことの神エホバについて知ってみてください。お願いします。