パンとぶどう酒 第13回「記念式の内容の主な部分」
パンとブドウ酒のお話しももう少しでおしまいです。パンとブドウ酒の起源について書いた後、イエスが弟子たちと共にした最後の食事の場面を概観してきました。最後は、現在の記念式のお話です。
イエス・キリストの死の記念式とは何をするためのものなんでしょうか。最も大切なことは、イエス・キリストの死の意味を思い起こすということです。
記念式はイエス・キリストの死を思い起こすためのもの
けっしてある種類の立場の違いについて際立たせるためのものではありません。もしそれが際立っていたとしたら、記念式の意味を長老も聴衆も理解していないということになります。
イエスは、多くの人の人のために血を注ぎだしてくださったこと、永遠の命のためにご自分を贖いとして差し出してくださったこと、罪のない体を人類の罪のために捧げてくださったこと、イエスが弟子たちを愛していたこと、そのようなことを思い起こすためのものです。これはイエスの到来のときまで毎年続きます。
イエスが「記念として行っていきなさい」といったことの意味は「忘れないように」という意味です。エホバ神は、人間に対する最大の愛の表明として、み子の命を差し出しました。記念式は、神の愛についても確認するときでもあります。
イエスの犠牲は人類に対するエホバ神の最大の愛の表明
決してなにか特別の立場にある人について、そのことを目立たせるべきときではありません。ある種の人に注目するのではなくて、エホバとイエスの愛について注目するときです。