聖書研究

「エホバ」か「ヤハウェ」か問題。正しい読みは「ヤハーヴ」つまり「父なる神」という意味だ。

さて僕が長年研究している聖書。エホバの証人を悩ます。神の名前問題。ヘブライ語聖書は「yhwh」と呼んでいるのに、イエスは、まったく神の名前を使わないという問題だ。 父というのは「アーヴ」と発音する 父というのは「アーバ」「アーヴ」と発音する。ま…

ノアの洪水は、もっと古い時代に起こったことだと考えればよい

多くの神話が洪水伝説を持っている。だから、大洪水が起こったということが、人類の記憶として残っているのだと思う。 海水面が現在より高く、アフリカの北部の陸地が、水に浸かっていた時代もある。そういう時代に、大きな台風や津波がきたら、そうとう恐ろ…

ヘブライ語聖書の「エホバ神」が、ギリシャ語聖書の「父なる神」に該当するという仮説

パウロは、よく「父なる神」という表現をよく行います。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの過分のご親切と平和があなた方にありますように。 (コリント人への第一の手紙) 一方ヘブライ語聖書には、「父なる神」という表現はでてきませんし、神…

イエスが知らせた神の名は、「エホバ」ではなく「アバ」

イエスは、「テトラグラマトンYHWH」をなんと発音していたかという疑問がありますが、それは、おそらく「アバ」でしょう。「エホバ」ではなくって、「アバ」です。初期クリスチャンも、イエスにならって「アバ」と呼んでいたはずです。 そしてさらにこう言わ…

祭りとは何か

先週は、祭壇とは何かということについてお話しました。簡単に結論だけいうと、神が食事をするためのテーブルだというものです。 では祭りとは何でしょうか。僕たちエホバの証人にとって祭りは、どこかバビロンチックで忌避すべきものというイメージが強いか…

祭壇とは何か

聖書を読んでいると「祭壇」という言葉がでてきます。僕たちは、「祭壇」という言葉で何を思い浮かべるでしょうか。 たとえば、祭壇といえば、ピラミッドのようなものがあって、その上で、いけにえに犠牲がささげられるような、そういうイメージがあるかもし…

主とエホバ

イスラエルの神エホバは、自分の子を地上に送った。イエスは、神の名について語り、父と呼んだ。 イエスは、『律法と預言者たち』の中で「エホバ」と書かれている方を父と呼び、「主」と書かれている人物を自分に当てはめた。 イエスは一貫して「エホバ」と…

杭と十字架

杭と十字架について、僕が考えていることを話したいと思います。この区別は重要なのでしょうか。それともそれほど意味がないのでしょうか。 杭が象徴しているのは、神に対してのろわれたものであるということ そもそも処刑の道具として、一本の杭であったの…

「主」は何を指しているか

イエスの時代には、神の発音はすでに失われていました。古代ヘブライ語は、子音しか含まないので、母音の発音は、一度失われてしまえば、復元できません。 イエスや弟子たちが故意的に神の発音を隠したわけではなく、1世紀には、ユダヤ人の間で神の発音は失…

神の存在する場所について

神はどこにいるかという質問に対して、どこどこだと答えることはできないと思う。「天に」と答えることもできるし、「あらゆる場所に」と答えることもできる。 神は、物理量ではなく、霊であられるので、その存在のあり方は、人が神をどのように表現するかで…

イエスを地に導き入れる(ヘブライ人の手紙から論証)

一世紀のキリストの弟子たちは、何が起こるかについて、いったいどのように考えていたのでしょうか。今回は、ヘブライ人の手紙の著者が何を思っていたのかを少し見てみます。 一世紀のクリスチャンは、キリストが再び現れること、地上に到来してとどまること…

聖書研究 「神を見ると死んでしまう」ということについて考える

聖書を読むと、聖書中の預言者やイスラエル人は、神を実際に見ると死んでしまうと考えているようです。いくつかの記述を見てみましょう。 ゆえにヤコブはその場所の名をペニエルと呼んだ。彼の言うところでは,「顔と顔を合わせて神を見たのに,わたしの魂は…

ダニエルがみた巨像 vs 神の王国

さてダニエルが見た巨像というのは、ものみの塔では、聖書予言の成就と関連して解説されるのですけれど、ダニエルが見た巨像と神の王国の比ゆ的なイメージの対比として語られることはほとんどないように思います。 聖書ではイメージや比ゆがたくさんもちいら…

神との和解のことについて考えている

和解という言葉の意味は、一方的にという意味ではない。和解ということの意味は、双方が歩みよるという意味だ。神が人と和解し、人が神と和解する。神は、イエスを通して人の罪を許し、人は神の元に帰る。イエスは、仲介者であって、和解の務めを果たした。 …

「油を注がれる」とは何を意味しているか

現在のものみの塔協会の見解は、クリスチャンの中には、「油注がれた者」と「油注がれていない者」の二種類のグループが存在しているという見解です。けれども、僕は真っ向からこの見解を否定したいと思います。 油注がれた者とは、第一義的にはイエス・キリ…

イエスが受けたバプテスマの意味について

ものみの塔協会は、イエスが受けたバプテスマの意味は、今僕たちが受けるバプテスマの意味とは異なると説明しています。その根拠は、イエスには罪がなかったので、罪の悔い改めのバプテスマを受けるというのは、おかしいというものです。 ですので、ものみの…

コリント第一7章39節「主にあるものと結婚しなさい」という訳は間違っている可能性が高い

エホバの証人は、聖書の中の「主にあるものと結婚しなさい(コリント第一7:39)と書かれている部分を、主にあるものと結婚するという規則だと考えている人が非常に多いけれど、これは訳としても、ルールとしても、どちらも間違っている可能性が高いと思います…

聖書というのはインターネットのハイパーリンクに似ている

聖書というのは、何に例えたらよいのでしょうか。聖書は、インターネットのハイパーリンクに似ていると思います。聖書という書物が、他の書物と大きく異なるのは、内部のつながり、それぞれの部分ごとに強くつながっているということです。 たとえば啓示の書…

ヨハネの福音書は、残りの三つの福音書を補足するために書かれたと見るのはどうでしょうか

僕自身は、聖書の無謬性を信じていません。聖書全体としてみれば、信頼できるけれど、細部に関しては、多少の食い違いがあるというのが、現在の僕の考え方です。主義・主張は最初から最後まで一貫していますが、細部については、人間が書き記したものなので…

聖書を読むといろいろなことを知ることができる

聖書を読むと人間や生きることについての意味を知ることができる。どうしてこうなんだろうと思うことの答えが書かれている。人間自身は人間のことをまだあまり知っていないけれど、神はやっぱり人間についてよく知っているということわかる。 たとえば「なぜ…