神の存在する場所について
神はどこにいるかという質問に対して、どこどこだと答えることはできないと思う。「天に」と答えることもできるし、「あらゆる場所に」と答えることもできる。
神は、物理量ではなく、霊であられるので、その存在のあり方は、人が神をどのように表現するかで変わってくる。
神の権威について、表象するときは、天という表現が使われることが多い。
ご覧ください,天も,いや,天の天も,あなたをお入れすることはできません。
(列王第一 8:27)
ソロモンが立てたエルサレムの神殿に関しては、心がそこにあるといいました。
そして今,わたしは,わたしの名が定めのない時までもとどまるこの家をまさしく選んで神聖なものとする。わたしの目とわたしの心は確かにいつもそこにあるであろう。
(歴代第二 7:16)
アブラハムに対しては、共にいるといいました。つまり、近くにいるという意味ですね。
「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはいけない。わたしはあなたと共にいるからである。
(創世記 26:24)
神は、天の天におられますけれど、わたしたちのひとりひとりのそばにもおられます。わたしたちが、権威を表象するときは天に、身近さや愛を感じたいときは、そばにおられます。