最終回「記念の墓の中にいるものがみなでてくる」 | 罪と死について考える

 イエス・キリストは、伝道活動の中で、病気の人を癒し、死んだ人を生き返らせました。到来する神の王国の力が、どのようなものかを、人々に見せました。

 イエスは、人々の罪のために処刑され、あがないの犠牲をささげました。そして、神はイエスを、三日後に復活させました。そして、イエスは、次に来るときの準備のために天に戻りました。

 今イエス・キリストは、父の右側に座っており、エホバの日の到来を待っています。イエスが、王権を確かなものとして戻ってくる日がきます。

 そのときに、イエスは、大規模な復活を行います。

父は,ご自身のうちに命を持っておられると同じように,子にもまた,自らのうちに命を持つことをお許しになったからです。そして,裁きを行なう権威を彼にお与えになりました。彼が,人の子であるからです。このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。

 父は、ご自身のうちに命を持っておられます。そして、子にもまた命を持つことをお許しになりました。アダムは、命の木を食べないように園から追い出されてしまいましたが、イエスに対しては、命を持つことをお許しになりました。

 イエスは、神からの信頼を得ているのです。「わたしの愛する子、わたしはあなたを是認した」。そしてまた、裁きを行う権威をお与えになりました。裁きとは、命と死を分ける裁きのことです。

 そして、その裁きの前に、罪の世にあって、死んでいった人々すべてを、復活させます。それで、神は不公正な方ではないのです。罪はアダムを通してもたらせました。そして、その罪は、世代を通して受け継がれましたが、子孫が負う罪は、その子孫のせいというわけではありません。

 それゆえ、あらゆる不正な方法で死んでいった人も数多くいますが、イエス・キリストは、それら死んでいった人たちすべてを復活させます。



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