パンとぶどう酒 第7回「無酵母パンとブドウ酒の意義を振りかえる」

 さてここまでパンとブドウ酒の起源や意味について説明してきました。さてここで、一度まとめておきましょう。

 無酵母パンというのは罪のないイエスの体を表しています。反対に僕たちは罪を持っています。イエスには罪がなかった。僕たちには罪がある。罪のない方が、罪のある者のために、ご自分の命を犠牲にして命を捧げてくださった。イエスに信仰を働かせることで、象徴的に罪のないイエスの体を取り入れることができる。これが永遠の命を意味している。

 自分の家族に罪を犯した人の命を救うために、自分の命を投げ出すことができますか。人間はエホバに対して罪を犯しました。つまりイエスの父に対して罪を犯しました。けれども、エホバもイエスは人を愛していたので、もう一度機会を与えて、永遠の命を持てる機会を与えてくださいました。そのために、エホバは最愛のみ子の命を差し出し、イエスは自分の命を差し出したのです。

 イエスの贖いにおいて人間に対する神の愛が示されています。その愛について知ったので、僕たちは神を愛するようになり、神に献身しました。

 ブドウ酒は、イエスの貴重な血を表しています。血は罪を清めます。エホバがエジプトのすべての初子を打った日、イスラエルの初子だけは、過ぎ越されました。戸柱に、自分の初子の代わりに、動物の初子の血を振りかけておいたので、エホバは、その家を過ぎ越されました。

 イエスは、ご自分の血によって、アダムがもたらした罪に対する代償を支払われました。ブドウ酒を飲むことは、信仰を働かせて象徴的にイエスの血を取り入れることになります。血を取り入れるということは、過ぎ越されて、永遠の命に至るということです。血は罪に対する代価を支払った、領収証となっているので、イエスの血が振りかけられていることを、エホバがご覧になるなら、エホバはその人に最終的には死をもたらしません。一度死ぬとしても、最後には永遠の命です。

 イエス・キリストの死の記念式は毎年行われます。パンとブドウ酒の意味について理解しておくと、その日はエホバとイエスに感謝を深めることができる日になると思います。なんとなく出席しているよりは、意味を理解しておいたほうが、信仰も強まりますね。

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