他の人の良心上の決定を裁いてはいけない

 聖書の原則の中には、罪ではない分野において、他の人の良心的な決定を裁いてはいけないというアドバイスがあります。この聖書の原則を当てはめるようにすると、不要な争いを避けることができますし、他の人を裁いて自分が不快になるということも避けることができます。

 聖書にでてくるひとつの例は、食べ物に関するものです。ある人は何でも食べてよいと信仰を持っているのに、他の人はそうではありません。

ある人は何でも食べてよいとの信仰を持っているのに対し,弱い人は野菜を食べます。食べる者は食べない者を見下げてはならず,食べない者は食べる者を裁いてはなりません。神がその人を迎え入れられたのです。
(新世界訳聖書 コリント第一14章2-3節)

 何でも食べるという良心上の決定をする人とそのような決定を行わないふたつのタイプの人がいます。けれども、自分の決定が正しいものだとして、他の人の決定を間違っているとして裁いてはいけないということをパウロは言っています。

 なぜでしょうか。それはどちらの人もエホバは迎え入れたからです。どちらも、愛するエホバの家族ですので、罪ではない良心的な分野における決定において、争ってほしくないという風にエホバは考えているのだと思います。

 小さなことでケンカしないでってことですね。意見の相違があるときに、自分の考えと違うといらっとするときがありますね。でもそれは自分の考えだから、他の人に押し付けちゃいけないし、そのことで他の人を見下げちゃだめだ。

 反対に、自分と違った考え方があるってことを、素直に認められるようになると、そんな考え方もあるのかーって、違いがあることが良く思えるようになりますね。崇拝において一致しながら、いろいろな考え方を持つ人が一緒にいるというのはとても楽しいことだと思います。

 エホバはさまざまな文化の人たちや、いろいろな性格を持つ人を結び合わせてくれてるんだーっていう信仰が強まりますね。