聖書を読むといろいろなことを知ることができる

 聖書を読むと人間や生きることについての意味を知ることができる。どうしてこうなんだろうと思うことの答えが書かれている。人間自身は人間のことをまだあまり知っていないけれど、神はやっぱり人間についてよく知っているということわかる。

 たとえば「なぜ結婚するんだろう」とふと思うことがあると思います。「なぜ仕事をするんだろう」とも思います。

 「なぜ生まれたのか」「なぜ死んでいくのか」「なぜ永遠を思うのか」「なぜ罪を感じるのか」「なぜ弱い人を思いやるのか」「なぜ公正を求めるのか」「なぜ喜ぶのか」「なぜ悲しむのか」「なぜ景色はきれいなのか」「どうして自然はは美しいのか」「なぜ手がこんなに器用なのか」「なぜ言葉を話すのか」「どうして異性を好きになるのか」

 いろいろと疑問に思うことが浮かんできます。でも聖書を読んでいくと、その意味が少しづつわかってきます。「生きる」ということの意味が少しづつ見えてきます。また「生きる」ということ自体の価値もわかってきます。どうしてこれほど人間は命を大切にしているのだろうということの答えも。

 現代科学である、進化論はこれに答えを与えようとします。簡単にいえば、自然選択です。つまり人間が今このようであるのは、その性質が他の動物に比べて「繁殖」に有利だったからといいます。

 もちろん過去に戻って実際に見てみることはできないので、どちらかを信じるか、確かなことはいえないというかのどちらかでしょう。

 僕自身は、聖書を読んでから、神を信じることは、不合理とか、非科学的とは思わなくなりました。反対に聖書は驚くほどに「生きる」ということの意義を僕に実感させてくれた本です。

 聖書は死後の世界について書かれた本じゃなかった。まったく反対で、神は「生きよ」と言う。「神の言葉によって生き続けよ」と言う。聖書は、命のための書物だった。