彼らは神ではないものをもってわたしにねたみを起こさせた

 エホバはまったき専心を要求される神です。でも勘違いしないでほしいのは、「専心」というのは、自分の性格や個性や生き方の全てを神に捧げるという意味ではないです。神のために自分が無個性になるということは、ぜんぜん意味していません。

 「専心」というのは、神としてエホバだけを愛するという意味です。

彼らは,神ではないものをもってわたしにねたみを起こさせた。
(新世界訳聖書 申命記32章21節)

 たとえば他の神を素晴らしいといって誉め称えることを、エホバは憎まれます。エホバはねたむ神で、まったき専心を求める神だからです。

 また富は素晴らしい、人を幸福にするといって、富を誉めたたえることについても、偶像崇拝にあたると、パウロは論じています。

 また「わたしの属する国家は素晴らしい」といって国家を褒めたたえることについても同じです。

 神以外のものを「素晴らしい。素晴らしい。」「これは現代の奇跡だ」といって誉めたたえたとすれば、それはエホバをねたませることになります。

 ですから神以外のものを誉めたたえている状況に遭遇したら、自分は偶像崇拝をしているのではないかということに、思いをとめることはよいことだと思います。

 エホバ神が求めておられることは、イエスを通して神だけを崇拝するということです。「イエスは道であり、真理です。」「この方を通してしか神のもとにくることはできない」と聖書に書かれています。

 ですから、もしこの真理をねじ曲げようという圧力がかかったなら、僕はがんばって信仰を保とうと思います。