祭りとは何か

 先週は、祭壇とは何かということについてお話しました。簡単に結論だけいうと、神が食事をするためのテーブルだというものです。

 では祭りとは何でしょうか。僕たちエホバの証人にとって祭りは、どこかバビロンチックで忌避すべきものというイメージが強いかもしれませんね。

 しかし、イスラエル人は、祭りを行っていましたね。つまり、祭り自体が悪いものというわけではなくって、問題視されるとすれば、偶像崇拝と結びつく祭りです。

 では、偶像崇拝と結びつかない祭りとは、いったいどんなものなのでしょうか。そのことの理解が深まれば、子供たちが楽しむことができる祭りを企画することができます。

 子供たちは、食べ、集まり、声を出し、楽しみたいのです。もし僕たちが、子供たちから、このような時間を奪っているのであれば、代わりの物を準備する必要があると思います。その努力なくして、奪うだけというのはいけません。

祭りのひとつの種類は、神とともに集まり、食べ、楽しみ、にぎわうということ

 祭りのひとつの種類は、神とともに集まり、食べ、楽しみ、にぎわうということです。ひとつの種類と保留をつけるのは、過ぎ越しの祭り(無酵母パン)の祭りは、少し趣旨が異なるからです。

 ひとつの例として、ネヘミヤが城壁を完成させた年の7月1日の祭りの描写を見てみましょう。祭司エズラは、このように語ります。祭りのひとつの意味が、この言葉に要約されていると思います。

次いで彼は[民]に言った。「行って、肥えたものを食べ、甘いものを飲み、何も用意ができていない者にはわけまえを送りなさい。この日はわたしたちの主にとって聖なる[日]だからです。気を
悪くしてはなりません。エホバの喜びはあなた方のとりでだからです。
(ネヘミヤ8:10)

 肥えたものを食べ、ない人には分け与えなさいといっていますね。そして、すべての民で喜びましょうといっていますね。

 集まり、食べ、楽しみ、にぎわっています。これが、祭りのひとつの形です。

 もちろん羽目をはずして泥酔とかは、いけませんよ。でも、祭りとは、集まり、食べ、楽しみ、にぎわい、喜びを基調としています。もしかしたら、親たちは、抑圧こそが聖なるものの条件と考えるかもしれません。

 しかし、それは聖書の一面的な見方で、肥えたものを食べ、甘いものを飲むことも、聖なる日と結びついています。神は、ただ抑圧だけを、かける方ではないのです。