ヘブライ語聖書の「エホバ神」が、ギリシャ語聖書の「父なる神」に該当するという仮説

 パウロは、よく「父なる神」という表現をよく行います。

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの過分のご親切と平和があなた方にありますように。
(コリント人への第一の手紙)

 一方ヘブライ語聖書には、「父なる神」という表現はでてきませんし、神のことを「父」と呼ぶ箇所があるとしても、回数は少ないです。けれども、「エホバ神」という表現は、それなりにでてきます。創世記では、21回でてきます。

これは,天と地が創造されたとき,エホバ神が地と天を造られた日におけるその歴史である。
(創世記 2:4)

 もし、イエス・キリストが、神の名は「父=アバ」であると、弟子たちに伝えたならどうでしょうか。そう考えるとパウロが「父なる神」という表現を使い始めた理由も納得できます。それは、ヘブライ語聖書における「エホバ神」という意味で、使っているということです。

 パウロは、意識的に、神のことを「父」と呼び、イエス・キリストのことを「主」と呼びます。これは、イエス・キリストも同じで、神のことを「父」と呼び、自分のことを弟子たちに「主」と呼ばせます。

 イエスの敵であった、当時のユダヤ人の宗教指導者たちも、イエスが、神のことを「父=アバ」と呼んでいたことを伝えています。

彼が安息日を破っているだけでなく,神を自分の父と呼んで,自分を神に等しい者としているという理由であった。
(ヨハネ 5:18)

 つまり、神を父と呼ぶことは、1世紀当時のユダヤ人の慣習の中にはなくって、イエスが始めたことだということです(神の名を呼び求めていた古代イスラエルの慣習の復元として)。そして、パウロは、それを踏襲しています。

 ヘブライ語聖書の「YHWH」をすべて「父」という言葉に置き換えて一度、聖書を読んでみてください。そして、そうして読んでみたときに、ギリシャ語聖書との一貫性についても、確認してみてください。