戦いの神エホバ

 ヘブライ語聖書を読んでいると、エホバの性格の中で、戦いの神、勝利の神という側面が見えることがあります。カナンの地を取得するときには、エホバは戦いを命じました。そして、強い民との戦いに際して、勇気を出すように励まします。

『あなた方は彼らのためにうろたえたり恐れたりしてはならない。あなた方の神エホバがあなた方の前を行ってくださる。エジプトにおいてあなた方の目の前で行われたすべての事柄のとおり、[神]はあなた方のために戦ってくださる。
(申命記 1:29)

 イエス・キリストは、ヘブライ語聖書の戦いに向かうとき励ましの言葉を引用しています。「勇気を出しなさい(ヨハネ 16:33)」という言葉は、カナン人の土地を取得するために、カナン人と戦うためにエホバがヨシュアに励ましたところからとられています。

勇気を出し、強くありなさい。
(ヨシュア 1:6)

 ヨシュアは現実の敵と戦っているのですが、イエスは、現実の敵と戦っているのではありません。では何と戦っているのでしょうか。それは、パウロがうまく説明してくれています。

わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
(エフェソス 6:12)

 よく読みこむと、「神のあり方が変わっていない部分」と「神のあり方が変化した部分」があるのに気がつきます。それで、ヘブライ語聖書の神と、ギリシャ語聖書の神は、まったく変わってしまったのではなく、戦いを助けてくれる神という部分は同じなのです。

 僕たちの目は偏っていますから、最初から偏ろうとした目で、眺めると、「神のあり方が変わっていない部分」だけに目についたり、また反対に「神のあり方が変化した部分」にばかり目についたりすることがあると思います。

 「エホバの変わっておられない部分」と、イエスを与えることにより「エホバが人に対して譲歩した部分」の両方を眺めて読むと、興味深く読めるのではないかと思います。