聖書というのはインターネットのハイパーリンクに似ている

 聖書というのは、何に例えたらよいのでしょうか。聖書は、インターネットのハイパーリンクに似ていると思います。聖書という書物が、他の書物と大きく異なるのは、内部のつながり、それぞれの部分ごとに強くつながっているということです。

 たとえば啓示の書という書物は、聖書の最後に登場する書物ですけれど、その表現のほとんどは、他の聖書の箇所と関連があります。エゼキエルが見た幻や、イエスの言葉や、12預言書の表現や、エデンの園での蛇の話など、聖書全体から、言葉を拾ってきて、お話が構成されています。

 つまり、聖書全体が、啓示の書と関係しているということですね。また、イエスを記した福音書も考えてみましょう。イエスの預言自体が、それ以前のヘブライ語聖書と関連しています。ヘブライ語聖書全体に、イエスに関する預言が、ちりばめられています。また、パウロ使徒たちの活動や手紙で、いつでもイエスについて語ります。

 つまり、聖書全体が、福音書と関係しているということですね。

 これだけではなくって、聖書全体が、聖書全体と関連を持っているということができると思います。つまり、複雑に絡み合う糸のようになって、全体が強く結びついているということです。

 この関係のおかげで、聖書のある部分の解釈について、他の聖書の部分との関連から、意味を読み取るということが可能になっています。一般的に、言葉の用法は、時代と共に変わっていくのですけれど、この全体との関連性のおかげで、聖書筆者やイエスが何を思い浮かべていたかということを推定することができます。

 たとえばイエスが「パラダイス」と言ったとき、それは、ヘブライ語聖書に書かれているパラダイス以外には、考えられません。後代の人は、パラダイスという言葉に、時代に合った意味をつけようとしますが、イエスが伝道活動の最初から最後まで、神の言葉である聖書を尊重しつづけた姿勢を見れば、その言葉が、ヘブライ語聖書のパラダイスを指していたとしか考えられません。

 ですから、ヘブライ語聖書で「パラダイス」「庭園」「園」という言葉を調べてみれば、イエスが頭の中に何を思い浮かべていたかを、推定することができます。

 たとえば、創世記やイザヤ書を読めば、イエスがパラダイスという言葉で、何を意味していたのかを理解することができます。