裁きの公平性について

 嘘や間違ったことを前提にして、長老たちが7人で、ある姉妹を裁いて、無理やり悔い改めさせて、その姉妹が自殺してしまったということを、コメント欄でいただきました。非常に悲しい事件です。

 他のブログなどでの情報も考えて、日本中の会衆でも、長老の一方的な判断で、間違った前提や根拠が薄い理由で、罪や悪者に定めるような冤罪が多く起こっていると推測します。悪い体質が、日本中の会衆で蔓延しているようです。

 悲劇が起こってから気づくのではなくって、悲劇が起こる前に、考えていただきたいと思います。手順優先ではなくって、まずその人個人の気持ちやメンタル面を、最重要視してほしいです。また、それが真実かどうかということをきちんと調べること、感情的な決定ではなくて、きちんと公正なものであるか、きちんと考えてほしいです。

 現在の会衆において、そもそも人が人を裁く正当性があるのかということも疑問ですけれど、裁きには、最低限公平性が担保されていなければならないと思います。冤罪が起こったときに、その人への影響はとても大きいからです。罪のない人を、罪に定めるということは、その人の心にとって、大きな負担をもたらします。

そしてわたしはその時,あなた方の裁き人たちに命じてこう言った。『あなた方の兄弟たちの間の聴問を行なうとき,あなた方は人とその兄弟との間,また外人居留者との間を義をもって裁かねばならない。裁きにおいて不公平であってはならない。小なる者[の述べること]を,大なる者[の述べること]と同じように聞くべきである。
(申命記 1:16-17)

 裁きにおいてしてはならないこと、それは特権や権威を持った人の一方的な判断で裁いてはならないということです。必ず、両方の言い分を聞いて、不公平があってはなりません。エホバ神は、公正な方であって、強い立場にある人が行う一方的な裁きを憎まれます。

 その人が弱い立場にあったとしても、その人が強い立場にあったとしても、両方の述べてることを同じように聞く必要があります。

 長老、巡回監督、日本支部、統治体は、組織に従順ということばかりを前面に押し出していて、真実や公正といった面にはほとんど無関心です。それをやり続けるならば、根っこのところは、エホバに仕えているのではなくって、組織を神として偽りの偶像に仕えていることになります。

 そもそも、組織に従順という価値観は聖書に存在しないので、それを続けるならば、長老、巡回監督、日本支部、統治体は、偽りの神に仕えていることになります。どうか偽りから立ち返って、エホバ神に仕え、真実と公正という観点から、自らの行っていることをどうか見直してください。

「組織への従順」という偽りの価値を愛するのではなくって、真実と公正とエホバ神を愛する。