寄付で生活している人が、無償で働く人を支配するという関係はおかしい

 ブログやコメントを僕はいろいろと見ていますけれど、その中で、べテルで働く職員が、テンポラリーボランティアで働く人を、食事のマナーの点で厳しく叱責したという書き込みを見ました。

 これは、エホバの証人社会で見られる、残念な状況を物語っていると思えます。それは、会衆からの寄付で生活している人が、無償で働く人たちに対して権威を持って、支配的に振舞っているということです。

 こんな事例を考えてみてください。サイフをすられてしまいました。そして、ともて困っていたときに、仲間が、いくらかカンパをしてくれました。それは、とてもうれしことだと思いませんか。さて、自然の情愛をもって、考えてみてください、親切をしてもらった相手に対して、支配的に振舞うことはできるでしょうか。

 この点で、統治体、ものみの塔協会、日本支部、巡回監督は、まったく逆の振る舞いをしています。会衆の寄付で生活している事実を忘れて、会衆に対して支配的に振舞ってもよいと考えているのです。お金ももらい、寄付生活もし、名誉ももらい、賞賛や感謝ももらい、支配権も行使して、まったく、クリスチャンとしての、横の兄弟関係を忘れてしまっています。

 祈りの中で、統治体は自分たちに対する感謝を、自らのべさせます。特に大会の祈りの中では顕著に現れていて、これが、さらなる上位の特権を得るための踏み絵となっています。しかしこれは考えればおかしなことです。本来は、統治体が、寄付で生活しているのですから、統治体が会衆に対して感謝を述べるのが普通です。

 統治体、日本支部、巡回監督という寄付生活者が、無償で働く人の上に権威を持って、支配しているという非常識な事柄が、エホバの証人の社会では、普通にまかり通っています。働かせて、お金をださせているのに、いらなくなったら、ぽいっと排斥できる。これが、エホバの証人の社会のゆがんだねじれた姿です。

 僕は、はっきりといいますけれど、寄付生活者が、無償で働く人の上に権威を持ったり、命令したりすることは、傲慢で、不遜なことです。

会衆からの寄付生活者が、無償で働く人の上に権威を持ったり、命令したりすることは、傲慢で、不遜なこと。

 統治体、ものみの塔協会、日本支部、巡回監督のみさなん。あなたがたは、会衆からの寄付で生活しているという事実を重く受け止めてください。そして、無償で働く人の上に、権威を振るったり、指示を出したり、命令したりできる関係には、決してないということに気がついてください。

 多くの兄弟姉妹が、あなたがたが、神の名をかたった偽者であることに気がつき始めていますよ。人を裁き続け散ると、エホバから次は自分が裁かれるということをどうか認識してください。エホバは返報される方なのです。