エホバの休みの日とは何か

 現在のものみの塔協会の教理においては、休みの日とは啓示の書に書かれた1000年間のことだとされています。けれども、これは間違いだと思います。単にエホバの休みの日とは、単に神が休憩できる日のことだと思います。

 つまりエホバの休みの日というのは、憤りと裁きの日が終わった後ずっと続く期間のことだと思います。神の休みの日は平和です。争いはありません。神と人の間に良好な関係が続きます。

 神は創造が完了した7日目に休むつもりでした。

こうして天と地およびその全軍は完成した。そして、七日目までに神はその行われた業を完了し、次いで七日目に、行われたすべての業を休まれた。
(創世記2:2)

 しかしご存知のとおり、神の休みは続きませんでした。神の安息日は、アダムとエバの違反によって、汚されてしまいました。安息日は神の休みの日でした。その日に違反が行われたことは、神にとっては忌むべきことでした。

 モーセの律法の中では、安息日を守らないことが罪とされています。僕たちは、どうして安息日を守らないことが罪になのかを、なかなかうまく想像することができません。

 けれども、ことの発端が、安息日に違反を犯したことだということを知っておくと、どうしてエホバが安息日にこだわっているかということが理解しやすくなると思います。

 パウロイスラエルの違反のために、神の休みの日は、まだ残されているという議論をしています。神の休みの日に入らせるという約束は、神の民に対してもまだ有効であるということをパウロは語ります。

それで,神の民のために安息の休みが残っています。
(ヘブライ 4:9)

 それゆえに、まだ神の休みに入るという希望が残されています。神のもとに人が服し、地と動物たちは人に服すという、かつてあった最初の状態への回復です。争いは止み、地の産物は豊かに実ります。そこでは神も人も休んでいます。本当の7日目が始まります。