みんなから高められる巡回監督

 巡回訪問のひとつの目的は、巡回監督を高めることです。これは、ものみの塔協会が意図していることです。多くの兄弟・姉妹たちは、巡回監督が神の経路で、巡回監督をもてなすことが、エホバへの崇拝だと勘違いしています。

 でもそうではなくって、神が求めておられるのは、神に対して、兄弟・姉妹が横に並んで仕えることです。そうすれば、「主要な牧者イエスが現されたときに、栄光の冠を受ける」とあります。

 ものみの塔協会の政策のひとつは、より高い特権を持つ人は、兄弟・姉妹からより多くもてなされるようにするというものです。このようにして優越感を育てるということを行っています。

 たとえば、開拓者になれば、開拓者学校で、会衆の姉妹たちからお弁当がでます。これが、特権を持つ人たちへのもてなしの始まりです。「わぁー、うれしい」というだけではなくて、泥の沼の始まりでもありますよ。気をつけて。

 さて長老たちをましょう。長老たちは、訪問講演に出かけていきます。そこでは多くの会衆の人から高められ、食事をもてなされます。長老という開拓者よりも、より高い特権を得るなら、このように食事をもてなしてもらえます。

 そして、巡回監督はといえば、すべての食事において、会衆の兄弟・姉妹から提供してもらっています。巡回監督というより高い特権を持つ人は、最大限に会衆の兄弟・姉妹からもてなされます。

より高い特権を持つ人を、より多くもてなすというのがものみの塔協会の政策

 このようにして、巡回監督は高められ、子供たちはないがしろにされます。実際に特権を多く持つ人は多く受け、何も持たない人が追いやられるという状況が、日本中の会衆で見られているようです。

 巡回監督のせいで心を忙しくする必要はないし、巡回監督を高める必要もありません。巡回監督の命令に一方的に従う必要もありません。もし巡回監督がそのような態度を取ってきたら、会衆の長老は、巡回監督に注意をしたほうがよいと思います。

 巡回監督は、会衆に対してそのような権限を持っていないし、何かの責任を負うのは、会衆の側なので、責任を負う立場にある会衆が、最終的な決定をすべきです。

 現在の巡回監督を思い浮かべて、次に、会衆にいる何の特権を持たない目立たない兄弟を思い浮かべてみてください。そして、その二人において、自分は態度を変えないだろうかと自問してみてください。

 何の特権ももたない兄弟に対して、心の中で見下していませんか。ないがしろにしていませんか。能力のない人といって、邪険に扱っていませんか。無視していませんか。このような態度が、会衆がやわらかくなることを阻害しています。

 僕の見地では、会衆を堅くさせているのは、このような高い特権を持つ人に対する人間崇拝です。高い特権を持つ、巡回監督や日本支部を過度に大事なものをして扱うために、弱い個人が組織のために犠牲にされています。組織は前進すれども、弱い個人は切られていきます。