イエス・キリストの人物像 第19回 イエスの言葉「自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」
仲間の兄弟・姉妹を見て「こうしたほうがいいんじゃないの」と心の中で思うということはよくあることではないでしょうか。小さな点について、自分の美的感覚の基準とずれていると、いらいらしてしまうのです。
そして、悪いことに、自分の美的感覚を、一般常識として語ってしまうことがあります。自分の美的感覚に過ぎないのに、みんながそう思っていると錯覚してしまうのです。
特にエホバの証人は、世の人と比べて、勝った上品さや気品を持っているという感覚は、要注意です。それが良いという聖書的な根拠は、聖書の中にはどこにも見いだされないからです。
反対にその感覚はパリサイ人の感覚に近いかもしれません。
行き過ぎると医学的な基準では、十分に清潔である人に対して、少しのことで不潔感を感じたりしてしまったりする場合があるのではないでしょうか。
他の人をどうしたいのかではなくて、自分は何をしてもらいたいかということに注目すると良いのではないかと思います。自分自身は、どうしてもらうと嬉しいですかということです。
イエスも弟子たちにそんな風に教えました。
「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。事実,これが律法と預言者たちの意味するところです。
(新世界訳聖書 マタイによる書7章12節)
もし今悩んでいるとしたら、自分がどんなことをしてもらいたいかということを、考えてみましょう。そっとしておいてほしいと思うことがあるかもしれません。
がみがみいわないで、優しく言ってほしいと思うかもしれません。友達がほしいと悩んでいるとします。そういうときには、遊びに行くのにさそってもらえると、やったーと思いますね。
そういう風に考えれば、自分と同じような悩みを抱えている人を助けることができます。想像ではなくって、自分が実際に悩んだという事実があれば、その悩みで他の人が悩んでほしくないと思いやることができますね。
だから、「自分だけ我慢すればよい」とは考えないでほしいと思います。あなたが苦しんだことは他の人も同じように苦しんでいます。同じ苦しみを持つ人に出会ったときは、自分がしてほしかったようにしてあげるのがよいと思います。