イエス・キリストの人物像 第17回 イエスの人柄「優しい」

 優しい人が好きとよくいいますね。優しくされたら好きになってしまいますね。自分に関心を示してくれてるんだなぁということが続くと好きになっちゃいますね。男性は単純ですね(僕だけかもしれないけれど。)

 話をしてみて話が続くかどうかは大切だと思うよ。いくら美人でも、料理が上手でも、かっこよくても、秀でた能力があっても、それができないと難しいと思うよ。(まぁ僕は恋愛したことないから、僕の想像だけれどね。)

 という話はさておき、イエスはとても優しい人物でした。いつでも、自分から出かけていって、病気で苦しんでいる人たちを癒しました。お腹をすかせている人たちがいれば、食べ物を与えました。

 イエスは、身分の違いのようなものを意識しませんでした。パリサイ人からは罪人と呼ばれている収税人のもとへも神の王国を宣べ伝えにいきました。健康な人たちではなくて、病気の人のためにきましたといって、病気で苦しんでいる人のもとに行きました。

 だれがあなたの隣人ですかというたとえ話では、道で倒れた人をほうっていったパリサイ人と、実際に人を助けたサマリアでは、どちらがあなたの隣人だと思いますかと弟子たちに質問して、隣人とは何らかの所属ではないことを示しました。

 イエスにとっては、隣人とは神のご意思を行っている人のことでした。

 またイエスは、捕縛される直前に、弟子たちの足を洗いました。足を洗う仕事というのは、当時の習慣では、仕える人たちが行うものでした。けれども、イエスは、師である自分が、このように弟子たちの足を洗ったのだから、同じように足を洗いあいなさいと教えました。

 だから、僕たちは、イエスが弟子たちに行ったように、互いに愛し合う務めがあります。僕たち兄弟・姉妹の中でだれが一番偉いかとか、だれに権威があるかということは、いいあってはいけませんよとイエスは教えましたね。それは父が決める事柄に属することですと教えましたね。そのようなことを議論すれば、言い争いや、紛争の種になってしまいますね。

 またイエスは、失敗した弟子をいつも許しました。失敗したとしても、最後の最後まで、弟子たちを愛し続けられました。

 イエスは優しかったですね。僕も優しくいれるように努力したいと思います。

前へ 目次 次へ