イエスの到来は盗人のようにくる / 聖書は本当は何を教えていますか

 聖書には、イエスの到来の日のことについての記述がたくさんあります。聖書が一貫して述べていることは、その日がいつであるかは、わからないということです。近づきつつはあります。けれども、あせったりしても意味がありません。その日は、いつかわからないからです。

 それは今だとか、もうすぐだとか、この日までに起こるといういう人たちは、いつの時代も存在します。けれども、そのような人の出現については、すでにイエス・キリストがのべていました。イエスが述べたことは、その人たちについていってはならないということでした。

 その日はどんな風に到来するのでしょうか。イエスのたとえ話は、的確に僕たちに、イメージをもたらしてくれます。

しかし,このことを知っておきなさい。家あるじは,盗人がどの時刻に来るかを知っていたなら,ずっと見張っていて,自分の家に押し入られるようなことは許さなかったでしょう。あなた方も用意をしていなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです。
(ルカ 12:39)

 この聖句を考えながら読んでみてください。イエスは「思わぬ時刻」に来ると言っていますね。思わぬ時刻ということは、予測できないという意味です。予測できるようなこれこれまでの時刻に来るとはいっていません。きちんと、予測できないときにくるといっています。

 財布を盗まれたときのことを、もし盗まれたことがある人は、思い出してみてください。なくなってしまったあとに、「あっ、盗まれた。」となります。イエスの到来も、このようにして起こります。ですから、大切なことは、その日を予測することではなくて、予測せずに、よく心の準備をしておくことです。