エゼキエル書

詐取によって自分の友から暴虐な仕方で利得を得つづける

神は変わってはおられない。モーセの時代から、預言者の時代から、神は変わっておられません。キリストは、父の心を明らかにしましたが、その父は、キリスト到来以前も、父でありました。 父は、友に対する詐欺、だますこと、詐取に対して、激しい憤りを抱い…

「生きてほしい」という神の気持ちは類推できる

神は「生きよ」といわれます。 「『「ときに,わたしがあなたのそばを通りかかり,あなたが血にまみれて[足を]ばたつかせているのを見,血にまみれていたあなたに,『生きつづけよ!』と言った。そうだ,血にまみれていたあなたに,『生きつづけよ!』と言っ…

「わたしは生きている」とエホバは言われる

エホバは死んではおられません。まことの神の存在が覆い隠されるとしても、それは、人間の業であって、神はもっと高い方だからである。 人々は神を忘れてしまいました。まことの神を忘れさせようと、精一杯の活動を繰り返してきました。けれども、エホバは言…

復活がどのようなものかを調べる / 聖書から調べる

聖書には復活という言葉がでてきます。これは死んだ人が生き返るという意味です。どんなふうに生き返るのでしょうか。その場面を生き生きと描いた場面がエゼキエル書37章の中にあります。その場面を読んで、復活の場面をイメージしてみるのも面白いと思いま…

わたしの道、それは正しく調整されていないだろうか。

聖書にはまことの神の道について書かれている。エホバが教える道について、誤解している人もインターネットを見ている人の中にはたくさんいるかもしれない。 学校教育やテレビの中では、僕たちは本当に大切なまことの神について、しっかりと学習することはな…

「私は生きている」とエホバはお告げになる

近代の哲学者フリードリッヒ・ニーチェは著書「ツァラトゥストラはこう語った」の中で、「神は死んだ」とツァラトゥストラに宣告させました。 ニーチェが言ったように、近代社会というのは神の権威が下げられ、人間中心の見方が育ってきた世紀でした。神を崇…

エホバはすべての人が生き続けることを望まれる

命はとても大切なものだと感じます。死はだれにとっても辛いものですし、喜ばしいということはありません。 わたしたちはだれかが困難な状況に陥っているとき、助けたいという気持ちが自然にわいてきます。 ではエホバ神は人間の死をどう思っているでしょう…