わたしの道、それは正しく調整されていないだろうか。
聖書にはまことの神の道について書かれている。エホバが教える道について、誤解している人もインターネットを見ている人の中にはたくさんいるかもしれない。
学校教育やテレビの中では、僕たちは本当に大切なまことの神について、しっかりと学習することはない。ほとんどの人が神を知らずに育ってしまう。
でも僕は、学生の中には神を求めている人がたくさんいるということを知っている。基準があやふやで、どんな価値基準で歩めばよいのかを、もう今や親も学校も教えることができないからだ。
ただなんとなく、親に言われたことが正しいとか、昔先生に言われたことが正しいとか、テレビでいっていることが面白いとか、流行に乗っていったほうが楽とか、あいまいな基準でなんとなく過ごしている。
正義はどこにあると思いますか。愛はどこにあると思いますか。平和はどこにあると思いますか。健康で健全な生活はどこにあると思いますか。それは聖書の中にあります。
ほとんどのみなさんは今まで神というものを知らずに生活してきたと思います。あるいは、なんとなくは知っているけれども、デートや友達の遊びに行くためのレジャーとしてとらえているかもしれません。真剣に神について考えている人は、少し気難しいと感じているかもしれません。
テレビや雑誌には神はでてこないので、神がいるという話を聞いたときにまさかと思うのが、普通の感覚なのではないでしょうか。
でも聖書を実際に調べると、まことの神がおられるということを知ることができます。そうなんです、今までは自分が正しくて、神について語っている人は間違っていると思ってったんです。うさんくさいというか、信用できないというか。
でも、本当に僕たちは神について真剣に考えてもらったり、真剣に聞いてもらいたいと思っています。聖書に中にはこんな言葉があります。
イスラエルの家よ、わたしの道、それは正しく調整されていないだろうか。正しく調整されていないのは、あなた方の道ではないか。
(新世界訳聖書 エゼキエル書18章21節)
わたしといっているのは、まことの神エホバです。あなたというのはイスラエル人に語りかけています。イスラエル人は物事がうまくいかなかったときに、それは神の道が正しく調整されていないからだと考えました。
けれども、実際は反対で、自分たちの道が正しく調整されていなかったからなのでした。神はいないといったり、神を非難するのが正しい道なのか、それとも神を認めて、その道を歩むことが正しい道なのか、真剣に考えることはとても大切なことだと思います。