「私は生きている」とエホバはお告げになる
近代の哲学者フリードリッヒ・ニーチェは著書「ツァラトゥストラはこう語った」の中で、「神は死んだ」とツァラトゥストラに宣告させました。
ニーチェが言ったように、近代社会というのは神の権威が下げられ、人間中心の見方が育ってきた世紀でした。神を崇拝していると唱えながらも、神は死んだもののように扱われたのです。
神は人間の下に下げられ、娯楽産業や富を設ける手段の中に組み込まれてしまいました。
さて終わりの日の最後の部分で、神の存在は再び注目されようとしています。ご自分の名前と神の目的を宣明させるための民を起こされたからです。
すべてのものを創造された、エホバ神は聖書の中でこういわれます。
「『「わたしは生きている」と,主権者なる主エホバはお告げになる,
(新世界訳聖書 エゼキエル書 17章16節)
そうです、神は確かにおられ、ご自分のみ名を最後まで、忘れられたままにしておくということはありえません。
エホバの証人は、1軒1軒お家を訪問していますが、実は神がおられるということとと神は目的をもっておられるということをお伝えしたいと思っています。
ですからどうか、最初から偏見を持たずに、話だけでも聞いていただけたらと思っています。聖書の中には、確かに神がおられるという証拠がたくさん書かれています。
聖書には、人間の始まり、人間が罪を犯して死ぬようになってしまったこと、神は罪を取り除いて最初の状態を回復させようとしておられること、そのために復活があることなどが書かれています。
確かに神は生きておられます。神は存在していて、すべての人にその存在を知ってもらいたいと願っておられます。
お家にこられた、エホバの証人と聖書の話を一度してみませんか。喜んで聖書に書かれた音信についてお伝えします。若い方も大歓迎です。聖書の勉強をしてみたいとお父さんやお母さんに相談してみてください。