以前の苦難は忘れられ、それは実際に覆い隠される
僕はエホバが好きだ。エホバは約束を守ってくれる。偽りの誓いをすることもない。怒ることに遅く、良いたよりを全地に宣べ伝える善意の年の間、ずっと辛抱してくださっている。
エホバはみ子を捧げてくださった。僕たちの罪のためのなだめの犠牲としてイエスを地上遣わしてくださって、贖いによって罪を覆って、エホバの目からその罪を見えないようにしてくださった。
エホバは偽ることができない。だから、罪に対応するのは死という、ご自分が定めたおきてを偽ることができない。神の言葉が果たされることなく神の元に返ってくることはないからだ。
その罪はどのようにしてエホバから見えなくなったのか。それはイエスの贖いの犠牲によって、罪が覆われたからだ。罪が覆い隠されて、エホバの目から清く見えるようになった。イエスに信仰を働かせることを通してのみ、神から義とみなされる。
それはエホバが設けてくださった唯一の救出の手段だ。人間の罪がエホバから見えなくなるように、エホバはご自分のみ子を犠牲に捧げて、罪を覆ってくださった。
エホバは全能者だけれども、できないことがある。それは、偽ることだ。自分の言葉が果たされないで返ってくることはない。
聖書を読んでいると、エホバはまわりくどいように思うときがある。なぜ素直な救い方をしてくれないのだろうと思うときがある。でも最近は聖書に書かれたすべての言葉が成就して終わりに至るということを示すということなんだと思うようになった。
エホバは地上にある苦難を取り除かれる。すべての苦しみを僕たちは忘れることができる。神が僕たちの苦しみを覆ってくださるので、もう僕たちがそれを見ることはない。そんな将来を約束してくださっている。
以前の苦難は実際に忘れられ、それらはわたしの目から実際に覆い隠されるからである。
(新世界訳聖書 イザヤ書65章16節)
僕にとっては待ち望むということは楽しいことだ。エホバが定めてくださった日を待つというのは、楽しいことだ。
必ずその日がくると約束してくださっている方に、約束を必ず守って、偽ることができない方に、僕たちの神であるエホバに、賛美と栄光と誉れが定めのないときまでもありますように。