復活がどのようなものかを調べる / 聖書から調べる

 聖書には復活という言葉がでてきます。これは死んだ人が生き返るという意味です。どんなふうに生き返るのでしょうか。その場面を生き生きと描いた場面がエゼキエル書37章の中にあります。その場面を読んで、復活の場面をイメージしてみるのも面白いと思います。

 エホバはまずエゼキエルに尋ねます。

「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるだろうか」
(新世界訳聖書 エゼキエル書37章3節)

 人の子よと呼びかけられているのはエゼキエルです。エホバは、死んでしまって骨になった人が、再び生き返ることがあるだろうかとエゼキエルに尋ねています。僕たちだったらどう答えるでしょうか。死んだら終了と答えるかな。それとも、生き返ることができると答えるかな。

 エホバは「あなた方は必ず生き返る」といいます。エホバは、人が生き返ることを、肯定します。死んだら終わりではないんです。肉体は滅びてしまっても、神はその人を復活させることができます。

 どんな風に復活させるのでしょうか。続きを見てみましょう。

また、わたしはあなた方の上に筋を置き、あなた方の上に肉を生じさせ、わたしはあなた方の上に皮膚をかぶせ、あなた方のうちに息を置く。それであなた方は必ず生き返る。
(新世界訳聖書 エゼキエル書37章6節)

 骨の上に、筋肉を置いて、その上に肉を生じさせ、さらに皮膚をかぶせるといっていますね。そして、息を入れるといっています。アダムの鼻孔に息を吹き入れたように、復活も同じように行われるみたいです。

 さらにエホバはこういいます。

あなた方はわたしが、エホバが語り、[それを]行ったことをしらなければならなくなる』と、エホバはお告げになる。
(新世界訳聖書 エゼキエル書37章14節)

 今エホバ神を信じていない人であっても、復活のときには、すべての人がエホバ神を知らなければならなくなります。だって、その場面を目で見て、耳で聞いて、触れることになるんですから。

 イエスの弟子のうち、トマスは、実際にイエスに触るまで信じませんでしたが、実際に見て聞いて触れたときに、イエスを信じました。終わりの日の復活のときには、すべての人がエホバ神をいやおうなしに、知らざるをえなくなります。敵でさえも、信じていない人であろうとも。