高齢の兄弟・姉妹たちへ

 会衆は、どんどん高齢化しています。それは、会衆の方針があまりに意固地で、多くの若い人たちを痛めつけてきたため、若い人たちが、残らなかったからです。自分の撒いた種は、自分で刈り取ることになります。

 老齢の兄弟・姉妹たち、もっともっと、寛容になって、心を広げてみてください。排斥された人に対しても、謝罪をして、近づいてみることができるくらい、心をやわらかくしてください。

 僕は、高齢の姉妹たちを心配しています。それは、みなさんが、裁きのときに、エホバに叱られはしないだろうかということです。みなさんは、長い間、排斥されてきた人たちは、むげに無視してきました。それは、どういう意味かといいますと、裁きのときには、今度は、その報いとして、エホバから無視されるということを意味しています。

 兄弟・姉妹のみなさん、みなさんは、命のために働いてきたのではなかったのでしょうか。それなのに、みなさんは、弱いものを、強い者たちと一緒になっていじめたという罪のために、その命を得ることができるかどうかは、不確定なものになっています。

 昔から振り返ってみてください。一体何度、排斥された人を無視してきましたか。もしそのことを立派に思っているならば、エホバとイエスは、裁きのときに、あなたを、無視するでしょう。「わたしは組織に従っただけ。わたしは悪くない」といいわけしますか。

 キリストの道に歩まず、もう一度エバの道「蛇が言ったので食べました」に戻りますか。「蛇が言ったので食べました」「わたしは組織に従っただけ。わたしは悪くない」という言葉の行く先が、罪と死であることをしらないのでしょうか。

 高齢の兄弟・姉妹の皆さん、皆さんは、大きな罪をたくさん犯してきました。立派なこともしました。けれども、それにもまして、大きな罪に加担してきたのです。そのことを、どうか自覚してください。「自分に罪がない」というならば、もはや、神の民ではありません。

 自分の罪を認めて、心から悔い改めること、そうすれば、神は許してくださるのです。

「さあ,来るがよい。わたしたちの間で事を正そう」と,エホバは言われる。「たとえあなた方の罪が緋のようであっても,それはまさに雪のように白くされ,たとえ紅の布のように赤くても,まさに羊毛のようになる。
(イザヤ 1:18)

 もしかしたら、バプテスマを受けて、自分はもう罪のない側にいるという、思い違いをされているかもしれません。けれども、僕は言いますけれど、皆さんは、大きな大きな罪の渦の中にいるのです。排斥に加担することからは、どうか離れていてください。もし、それを行い続けるならば、エホバが、あなたに命を与えず、あなたを排除するということを、知ってください。「自分に罪がないと思うものだけが、石を投げなさい」