ソロモンの祈り

 今日は、電車の中で、歴代第二を読んでました。そこには、ソロモンの祈りが書かれています。印象に残った祈りだったので取り上げてみます。

「もし彼らがあなたに対して罪をおかし(罪をおかさない人はひとりもいないのですから),(中略),『私たちは罪をおかしました。私たちは過ちを犯し,邪悪なことを行ないました』と言って,あなたに恵みを願い求め(中略)、彼らが本当に祈る場合,(中略)彼らの祈りと,恵みを求めるその願いを聞き,彼らのために裁きを施行し,あなたに対して罪をおかしたあなたの民をお許しください。
(歴代第二 6:36-39)

 ソロモンは、罪を犯したイスラエルのために、祈っています。罪を犯した人を責めるのではなくって、罪をおかさない人はひとりもいないといって、罪を犯したイスラエルをかばっています。

 そして、罪を認め、恵みを願い求めるなら、どうかそのイスラエルの罪をお許しくださいと、神に祈っています。

 イエスが「罪のある者だけが、石を投げなさい」と語ったときには、きっとこのソロモンの言葉が頭の中にあったのだと思います。

 イエス・キリストは、実は、イエス・キリスト独特の考えを話しているのではなくって、父の言葉を話していました。それはもちろん、父が預言者たちを通して語った言葉も含まれています。

 エホバは、邪悪なものが死ぬことを望んでいません。エホバは、邪悪な者が実際に罪から立ち返り、生きることを望んでおられます。

 邪悪な人たちに対しては、とても憎い気持ちがわくと思います。激しい憎悪や復讐の感情が、わくと思います。しかし、神は、罪を犯した人たちが、実際に立ち返ることを望んでおられ、許したいと思っておられます。

 「自分には罪がある」というなら神はその心をごらんになります。「わたしはすでに清い」というなら、神を偽り者にします。イエスは「わたしは、義人ではなく、罪人を救うためにきた」といいましたが、自分に罪があることを認める人を探しておられます。

 ソロモンもイエスも、罪人たちのために祈りました。