嫉妬、ねたみ、うらみと戦う

 イエス・キリストは、弟子たちに外面の装いが、人を汚すのではなくって、人の口からでるものが汚すのだといいました。

そうして,群衆を近くに呼んでこう言われた。「聴いて,その意味を悟りなさい。口の中に入るものが人を汚すのではありません。口から出るものが人を汚すのです
(マタイ 15:10-11)

 嫉妬、ねたみ、うらみは、口からでてきて、簡単に人間関係を壊していきます。喜び、温和さ、愛、心の広さは、壊されて、台無しにされてしまいます。

 人は、罪の結果ゆえに、そこから逃れることができませんけれど、打ち壊すことに至るまえに、軽減することはできると、僕は思います。

 まったくなくすことはできません。人は罪ゆえに、願うところを行うことができません。けれども、よく生きるためには、この感情とうまく付き合っていく必要があるように感じます。

 どうやったら軽減できるか。少し考えてみたいと思います。

自分を評価する

 嫉妬やねたみやうらみが強い原因のひとつは、長い間、人から否定されてきたことと関係があると僕は感じています。そのほとんどの場合は、盗んだから非難されたのではありません。殴ったから非難されたのではありません。

 罪とはまったくいえないことで、否定され、非難にさらされてきました。なんら悪くないことで、非難され続けてきました。辱められてきました。親に原因があったり、学生時代の仲間に原因があったりします。

 こういう経験が続くと、自己評価がすごく低いように思います。自己評価が低いので、さらに悪循環に陥ります。でもやっぱり少しづつ緩和していかないといけないと思います。

 会衆は、何でも話せて、受け入れてくれる関係であってほしいものです。社会が否定しても、わたしたちは、あなたを否定しない。そういう場所であってほしいものです。

 「組織に従うならば」という条件をつけないでくださいね。「あなたの愛する神に従ってください」といいましょう。

人を評価する

 自己評価が低い人は、自分が好きな人以外を評価できないように感じます。そのなんというか、ライバルを評価することができないんです。

 僕は、ライバルを無視したり、ライバルを毛嫌いしたりするよりも、ライバルは、評価したほうがいいと感じています。許せない人を作るのではなくって、評価できる人を作るのがいいと感じます。

がんばる

 その、厳しく言えば、がんばること、戦うことも必要だと思います。死闘を繰り広げること。勇気を出すことも必要です。

そうした罪と闘う点で,あなた方はいまだかつて血に至るまで抵抗したことはありません。
(ヘブライ 12:4)

 人を蹴落とす戦いじゃなくって、自分の心と向き合う戦いをしてほしいと僕は思います。人を裁くことで、人を非難するのではなくって、まず自分の心と戦ってみてほしいと思います。