断食のもつ意味

 僕は、ずっと断食って言うのは、変な行為だなぁと思っている。それは、夕方まではご飯を食べないという行為だけれど、それが何を象徴的に意味するのかよくわからななかった。

 断食というのは、エホバがイスラエルに与えた律法の中のひとつでした。

すなわち,第七の月,その月の十日に,あなた方は自分の魂を苦しめるべきである。
(レビ記 16:29)

 直接的には表現されていませんが、イスラエルはこれを断食と理解していたようです。

 思うに断食とはまず一つ目に「あなたは食べてはならない」ということを意味しているのではないかと思うのです。「あなたは食べてはならない」という言葉で思い起こすことができるのは、もちろん、アダムの罪です。

 イスラエルに与えられた律法の中には「食べてはならない」という形式のものが結構あります。「血を伴う肉を食べてはならない」「汚れた動物を食べてはならない」「死んでいた動物は食べてはならない」「過ぎ越しの7日間は、むこうぼパン以外は食べてはならない」。断食の習慣というのも、この「食べてはならない」ということと結びついていると思うのです。

 僕たちは、創世記以後の書物を読むときは、創世記はあまり関係がない書物だという感覚で読んでしまいがちです。けれども、「七日」や「食べてはならない」というキーワードは、明らかに、創世記のアダムが犯した罪と結び付けられています。

 断食という習慣は、過去の罪に関して悲しみと悔い改めを表わす行為でした。でも食べないということと、この感情が結びつくというのは、今の僕たちの感覚ではわかりません。これは、創世記を知っていないと結びつかない感情です。

 すなわち、「善悪の実を食べた」ということが重大な罪であり、その結果、園を追い出され「豊富な実は食べられなくなり」ました。つまり、断食という習慣は、罪を犯したので食べられなくなった悲しみ、そして、悔い改めの感情を意味するのだと思います。