世の欲望は過ぎ去りつつあります
世は過ぎ去りつつあり、世の欲望も過ぎ去りつつある。
さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。
(新世界訳聖書 ヨハネ第一2章17節)
それは、新しい世がこようとしているから、今の世が求めている欲望も過ぎ去ってしまう。それは永遠じゃない。
富を見せびらかしたり、自分のために地位を求めたり、自分を他の人の上に高めたりすることは避ける。神の目からみて謙遜である人を、エホバは立派な人とご覧になる。
ではこんな質問があったとしたら、どう答えるだろうか。
・400万円の外車を購入することは、よいことですか、悪いことですか。
・100万円を使って世界一周旅行に行くことは、よいことですか、悪いことですか。
・3000万円の家を借金をして(ローンを組んで)購入するのは、よいことですか、悪いことですか。
・2000万円の年収がある仕事に就くことは、よいことですか、悪いことですか。
これは神の目から見て悪いことでしょうか。他の兄弟・姉妹がそのような決定をしたらどのように感じますか。何かよくないうわさがたつでしょうか。会衆での立場に影響するでしょうか。後ろめたい思いをして、できるならばそのことを隠して生活したくなりますか。
答えを言えば、よいとか悪いとかを他の人に伝えることはあんまり意味がなくって、聖書を勉強する過程で、自分がエホバとの関係でどんな決定をしたいかということが大切。
聖書の言葉から考えるということが大切。たとえば、いくつかの神の言葉を考える。バランスよく吟味する。
富の見方にかんしてはこんな聖書の言葉がある。
- 神と富との両方に仕えることはできない
- エホバのみ前にあって謙遜なものとなりなさい
- 天に宝を蓄えなさい。
- 金銭に対する愛はすべての害悪の元です。
他の兄弟姉妹に対する接し方に関してはこんな聖句がある。
- 他の人を裁いてはなりません
- 自分を義に過ぎるものとしてはなりません。
- 築き上げる言葉をかけなさい
- 温和に柔和に接しなさい
自分の主観で、他の人に制限をかけるのではなくて、いつでも慎み深く、神の言葉によってよい良心をはぐくんでくれる、そんな長老がいるとうれしい。神の言葉をいつも心においておくと、最善の選択ができる。そんな信仰をはぐくんでいきたい。