喜びが到来するときを待ち望む

 終わりが来るといったときに、どんな感情を抱きますか。恐怖でしょうか、それとも喜びでしょうか。世の不従順のために恐怖が地に臨みますが、エホバの名を呼び求める者は救われます。

 次のせりふは、イエスが苦しみを受けて死に渡される前に弟子たちに語られた言葉です。

女は出産に臨んで嘆きを抱きます。彼女の時が到来したからです。しかし,その幼子を産んでしまうと,ひとりの人が世に生まれた喜びのために,もうその患難を覚えていません。
(新世界訳聖書 マタイ16章21節)

 出産はひどい苦しみを伴うようです。女性は陣痛や生みの強い苦しみを味わうようです。それでも、生み終えた後は、子どもが誕生した喜びのために、その苦しみをもう覚えていません。心は喜びにあふれています。

 そうです、今の僕たちについて当てはめてみても、まさにこのような感じでしょう。激痛を味わうことがありますが、それは怪我や病気の苦しみではなくって、出産を控えているための痛みです。

 ですから、終わりのときに臨んで、悲嘆することはありません。その悲嘆は喜びに変えられるからです。悲嘆のための悲嘆ではなくって、喜びのための悲嘆だからです。

 何を産み出しているところですか。それは、イエスの忠実な奴隷と新しい天と地です。それらが生み終えられると楽園という、楽しい場所が待っていますね。