わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です

 パウロ聖霊の導きを受けて、現在聖書の一部となるたくさんの手紙を書き記しました。新約聖書の多くの部分はパウロによって書かれた手紙が含まれています。

 ではパウロはこの立場のゆえに自分を勝ったものとしていたのでしょうか。他のクリスチャンに対して、自分が上という考え方をしていたのでしょうか。

 パウロはその考え方をまったく否定します。

わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。
(新世界訳聖書 コリント人への第二の手紙 1章24節)

 パウロは同労者という言葉を使って、自分はともに働く仲間のクリスチャンに過ぎないということを強調しています。

 現代においてもこの聖書の考え方を正しく理解することは大切だと思います。神のお考えは、キリストを頭として、クリスチャン会衆を協働させるということです。ですから、僕たちはきっと誤解していますが、クリスチャン会衆は、中央集権的な機構では決してありません。

 神ではなく、人が人を支配する形態というのは、世からのものであって、神からのものではありません。ですから、世の霊に導かれているなら、「人が人を支配して害を及ぼした」ということが起こりえます。人に対して上下関係を作るなら、それは、悪い実を生み出します。

 以下はクリスチャン会衆の間違った理解の例です。

エス

統治体

ベテル

巡回監督

長老

伝道者

 世の霊に導かれるなら、クリスチャン会衆を間違って理解してしまうかもしれません。人が人を支配する制度を作るならば、それはイエス・キリストの土台の上にありませんから、もろく崩れてしまいます。

 クリスチャン会衆は、イエスのみを指導者として、協働して働きます。つまり、以下が正しい理解です。

          神
          |
         イエス
          |
      (クリスチャン会衆)
伝道者、長老、巡回監督、ベテル、統治体

 クリスチャン会衆はイエスのみを指導者として、協働して働きます。クリスチャン会衆においては、上下関係はなく役割の差があります。たとえば、ベテルで働く兄弟が、世俗の仕事をしながら伝道している兄弟よりも立派ということはありえません。ベテル奉仕は輝いて見えますか。それなら同じように、世俗の仕事をしならが伝道している兄弟の輝きが見えるのではないでしょうか。

 イエス・キリスト自身は、この中でどの役割として働いたと思われますか。イエスは、地上にいた間は宣教にもっとも多くの時間をさきました。ですから、この中では「伝道者」という役割がぴったりです。パウロは役割の一部として統治体としての役割も果たしていましたね。

 では、イエスパウロはどちらが偉いのでしょうか。

 この点を考えても、もし「統治体」が「伝道者」よりも偉いという考え方をするなら、誤っていることがわかります。エホバの証人では、忠実で思慮深い兄弟・姉妹たちは、伝道者として活動している人が最も多いです。

 ですから、エホバの証人の会衆においては、単なる伝道者が長老より劣っているという考え方は、間違っています。長老は、クリスチャン会衆を見守るという役割を果たしています。それ以上の権威をもちいて、他の兄弟姉妹の信仰の主人となることは、神の目から見れば、越権行為なのです。上司が部下に対するように接するなら、それはクリスチャン会衆というよりも、世の組織を反映したものになります。

 ですから、長老たちへお願いです。巡回監督やベテル、統治体を上司のように扱わないでください。会社の社長のように絶対的な権威として扱わないでください。彼らは会衆に対して、信仰の主人ではないからです。僕の経験からいうと、巡回監督は、みんなに兄弟として接してほしいと考えているようです。誉れを受けたいわけではなくて、ひとりの兄弟として接してほしいようですよ。

 だから一緒に奉仕をするときも、教えを請うような態度ではなくって、ひとりの兄弟として話をしてみてください。良いものを得られると思います。監視人のようにみなさないで、ひとりの兄弟として接してあげてください。