級という言葉にはいつも違和感を感じる

 級(class)という言葉には違和感を感じる。どうしてこんな言葉を使うようになっちゃったのでしょうか。使うと巡回監督に誉められるのかな。それとも巡回監督に使うように薦めているのかな。級という言葉は不自然な日本語のひとつだ。そんな不自然な言葉を使わなくても、表現方法はいくらでもあると思うのに。

 級という言葉を使うのはそろそろやめにしませんか。階級を意識させることは、誤解を招きやすいと思うし、聖書の中にも、そんな言葉はないしね。階級を作るということは、エホバに怒りをもたらしはすれど、栄光をもたらしはしない。

 エホバという王を退けて、自分のために王を立てたイスラエル人にどれほどエホバが怒りたったかを知っていれば、階級のようなものを作りたいとは思わないはずなんだ。

 これは単に言葉の問題なんだけれど、その言葉で何をイメージするかといえば、「何か別の級がある」ということを想像する。ある種の階級をエホバは是認されたのでしょうか。「むしろ互いに仕え合いなさい」という言葉がキリストの語ったものであれば、誤解を招く表現は、控えるのがよいと思います。