義なることに固くつく

 週二回になったので、すこし挨拶文を書きたいと思います。ネットだけでは、絶対に、ものみの塔協会には勝てないです。対面の影響力、人の顔を見て、声を聞いて、顔を見て、話すというのは、すごく強いです。

 特に今のエホバの証人は、真実については特にどうでもよくって、会衆の中の人間関係のとりこになっています。仲良しグループでいて、関係を壊したくないというだけの関係になってしまっていると思います。

 真実については本当はどうでもいい、でも、人間関係や自分の特権を壊さないためだけに、真実と呼ばれることを宣教する、そんなへんてこなものになっていると思います。

 ものみの塔協会は、本部移転とキャンディス・コンティ裁判が終わるまでは、縮小していくと思いますけれど、その後は、再び生き残る道を探っていると思います。

 ものみの塔協会を、打倒するために最終的に必要なことは、運営の権限を、ものみの塔協会から、会衆からの有志に移転することです。これができなければ、ものみの塔協会は、いつまでも操り続けることができてしまいます。

 運営の移転の策略については、また今後に書きます。

義なることに固くつく

 エホバの証人の兄弟姉妹の皆さんは「真理を知った」と口癖のようにいいます。このニュアンスは「今自分は、完全に知っている。だから、真理の側にいる。世の人とは違う。世の人は真理の側にいない」という感じです。

 僕は、こういう真理の語られ方については、すごく大きな違和感を覚えます。僕のイメージでは、真実に到達するということは、到底不可能であって、将来起こりうることの、ぼんやりとした輪郭を見ているくらいなんです。

 キリストは「探し続けなさい」といいました。もうすでに、知っているのであれば、こんな風にはいわないと思います。人は、たいして、知らないんです。

 自分が立派な服を着ていると思っていても、実は裸なんです。自分は立派な考えを持っていると思っていても、いつでも何かが足りていません。

 立派な言葉を持って、宣教にでかけていきます。でも、スカートやズボンのお尻の部分は、丸見えになっています。日本のことわざでも「頭隠して、尻隠さず」といいます。

 兄弟・姉妹のみなさんに、伝えたいのは、「自分の尻が丸見えになっていないだろうか」と自問してほしいということです。

エホバよ,だれがあなたの天幕の客となるのでしょうか。
だれがあなたの聖なる山に住むのでしょうか。
それは,とがなく歩み,義を行ない,
その心に真実を語る人です。
(詩篇15:1-2)

 天の父は、どんな人と共に住みたいといっていますか。神の義とはなんでしょうか。神の義のひとつは真実を語ることです。

 兄弟・姉妹のみなさん、会衆の仲良しグループもいいですけれど、どうか真実に対して、固くついてほしいと思います。「真実の神の言葉」か「偽りの組織の言葉」か、その両方に固く着くことはできません。

 西暦前607年に、エルサレムは滅びてはいません。統治体とものみの塔協会は、それを知っていながら、嘘偽りを、会衆に伝えています。この件に関しては、僕が真実の言葉を語っています。

 兄弟・姉妹を愛しているのでいいます。奇妙な教えに流されていかないで、真実に対して、固く着いてください。そして、人を愛してください。組織に従順な人を愛するのではなくって、人そのものを愛してください。