日本人の宗教観

 日本人の宗教観ってなんだろうか。仏教だろうか、神道だろうか、儒教だろうか。僕は、このことについて長い間考えてきたけれど、最近は、こう考えるようになった。

 仏教とか、神道とか、儒教というのは、表面的な見え方であって、日本人の宗教観の根本は「人は死なない」というものだ。

日本人の宗教観の根本は「人は死なない」というもの

 もちろん肉体は死ぬが、肉体は死んでも霊魂はどこかで生きていると考える。これが、日本人の多くの人が共有している宗教観だと思う。

 具体的にいくつか例をあげよう。

 死者は霊となって生きており、生きている人を見守っている。

お盆

 お盆には、死んだ人が帰ってくる。

神社

 伊勢神宮には、天照大御神の魂が鎮魂されている。出雲大社には、大国主の魂が鎮魂されている。

極楽浄土

 人は死ねば、極楽浄土に入る。

奈良の大仏

 死者の祟りを沈めるために、聖武天皇は大仏を作る。

河童

 死んだ子供が、河童になってあらわれる。

水子

 流産した赤ちゃんは、霊になって生きている。

お墓参り

 死者はどこかで生きている。お供え物として食べ物を送る。

地蔵

 死んだ子供が、姿を現して形になったもの。お供え物として食べ物を送る。

先祖供養

 先祖の墓参りをおろそかにすると、罰が当たる。

棺おけに入れるもの

 棺おけには、死んだ人が生前に、親しんでいたものを入れる。

祭りのみこし

 みこしには死者の魂が入っており、生きている人と共に楽しませる。

 このように列挙すると、なんとなく日本人の宗教観が見えてくるんじゃないでしょうか。そして、キリストはうまいことをいった。

幼子は死んだのではない,眠っているのです
(マルコ 5:39)

 日本人の宗教観に実はよく似ていて、僕たちクリスチャンの価値観はこうです。

人は完全に死んだのではなくて、ただ眠っていて、起きるときを待っているのです。