組織にとどまることは、楽園に入る条件ではないということ

 「この組織にとどまってさえいればよいのよね」。これは、ある姉妹が語っていたことですが、組織にとどまることが、楽園に入る条件になっているかのようなニュアンスで語っていました。

 僕の感覚で語ると、エホバの証人になった人たちの多くは、楽園に魅力を感じています。「楽園がきたらいいなぁ」と思っている姉妹たちは多いです。

 イザヤの預言書には、パラダイスに関する記述が実際にあります。楽園は、エホバの証人の妄想ではありませんし、信仰することは馬鹿にされるようなことではないと僕は思います。

 また、楽園は、ものみの塔協会の作り話でもありません。最初の状態に戻るということが、聖書全体のテーマのひとつでもあります。

 ですから、楽園に住むという希望は、確かな信仰ですし、馬鹿にされても、捨てる必要のないものです。また、希望があるということは、よいことだと思います。

 けれども、組織にとどまることと、楽園に入ることは関係がありません。みなさんがよく宣教で使っている聖句を少し見直してみてください。どんな人たちが地に住むと書いてありますでしょうか。

義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう。
(詩篇37:29)

 「義なるものたち」と書いてありますね。よく使う聖句なので、もう詩篇の何篇何節か覚えている兄弟・姉妹もいるんじゃないでしょうか。

 この義というのは「神の子キリストへの信頼による義」という意味なのですよ。パウロが手紙の中で、丁寧に論じてくれています。

 組織にとどまることは、来るべき地に住むための条件ではないんです。どうか知っておいてください。



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