見えないものによって歩むということから遠ざかってしまう

 さて、今日も、組織に対する信仰の何が問題なのかということを、引き続いて書いてみたいと思います。

 さて、パウロの言葉から考えてみましょう。

同時にわたしたちは,見えるものではなく,見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが,見えないものは永遠だからです
(コリント第二4:18)

 思い出してみてください。こんな言葉を言われたことがありませんか。「見える地上の組織の指示に従いましょう。それが命を意味しています」。

 長老や年配の姉妹は、このようなことを、述べることがあるかもしれません。組織とは特定の人の集まりのことであって、それは、目に見えるものに属します。

 パウロは、見えないものに目をとめると書いていますね。富や、組織から与えられる特権、地位などは、目に見えるものに属します。

 このようなことは、一時的なものなんです。ですから、このような一時的なものに目を留めるのじゃなくって、見えないものに目をとめましょうとパウロは、アドバイスをしています。

 組織に対する信仰は、組織が与える特権に対する信仰をも生み出しています。この特権に対する信仰が、エホバの証人の会衆の人間関係を重く、苦しいものにしている原因のひとつです。

 特権は、自分の心を満たしてくれそうに見えますが、それは富と同じで、一時的なもの、心を満足させてくれないものです。特権への愛は、強欲を生み出していて、隣人への愛を示すことを非常に難しくしています。

 特権が強調されると、人々の心の基調は、隣人愛ではなくって、ねたみになってしまいます。いかに自分の特権を失わないかということに、奔走することになります。これは、実際に起こっていることです。

 「どうしてこれほど、ねたみが会衆に多いのだろうか。クリスチャン会衆なのに」と感じている兄弟・姉妹は多いと思います。その原因のひとつは、特権なんです。見える特権によって、歩んでいるから、ねたみがひどく強くなります。



組織信仰 - 何が問題か