ものみの塔研究の考察 若者の訓練に関する記事について

 研究用ものみの塔2015年4月号に関する考察です。今回は「長老が兄弟たちを訓練するのはどうして大事か」ということが切々と書かれています。

長老の皆さん,兄弟たちを訓練するよう努めていますか
長老はどのように兄弟たちを訓練できるか

 今回の記事は、おおきな問題点がかなり多く含まれています。エホバの証人の兄弟・姉妹であっても非常に強い違和感を覚えるのではないかと思います。

 まず最初にひとつの箇所をみてみましょう。まず、エンジンオイルの交換は大切だというたとえがでてきます。

例えで考えてみましょう。車を運転する人はご存じのように,車を良い状態に保ち,エンジンがきちんと動き続けるためには,エンジンオイルを定期的に交換しなければなりません。

 そして、びっくりすることに、エンジンオイルとしてたとえられているのは兄弟です。

ところが,ある長老たちは,急ぎの仕事を行なうことに忙しく,エンジンのメンテナンスとも言える兄弟たちの訓練をおろそかにすることがあります

 組織と長老は車を運転する人、会衆の兄弟は、エンジンオイルです。ものみの塔協会は、人間のことを組織を動かすエンジンオイルだと思っているのです。

 人が人をもののように扱って、支配すること、このことが、人間社会の害悪であるということを教えていながら、ものみの塔協会は、まったく人間を人間として扱おうとする気持ちがありません。

 ものみの塔協会は、兄弟たちを、車の部品だと考えているということが、この研究記事から確認できます。今回の記事は、ご存知かもしれませんが、組織の思うとおりに兄弟たちを動かすための記事なのです。

 その意図を持って書かれており、兄弟たちの心の問題や、悩みについては、まったく無視されています。このような方針が、子供たちの心に不自由をもたらし、心理的な虐待をもたらすことになっているということを、考えるべきです。

個別の考察

 これらの記事の中には、そのようなことを意図する言葉がたくさんでてきます。また、ものみの塔協会の長老になる若い兄弟がどんどん減っているという危機感も見えます。

 忙しい長老をさらに時間をとって働かせる。長老は、馬車馬のように働けといいます。かわいそうな長老。

長老たちの予定は,会衆の重要な事柄を行なうためにぎっしり詰まっていることでしょう。ですから,そうした事柄に充てていた時間の幾らかを,兄弟たちの訓練に振り向ける必要があるかもしれません。

 一緒にご飯を食べて友になりましょうといいます。一緒にご飯を食べると仲良くなるという心理的効果があります。この心理的効果を効果的に使いましょうという提案です。

単なる教え手ではなく,友になる。(中略) おいしい食事と快い散歩を楽しみ,じっくり話し合い,十分な休息を取ったあと,『これでサウルに油をそそぐことができる』と思いました。

 しかし、そもそも、長老と友になれるわけがありません。そんな人は見たことがありません。長老と組織のイエスマンになることが、長老になる早道だということを、賢い奉仕の僕たちは知っています。そんな状況で、どうやって友になるのでしょうか。

 若いときから徹底的に訓練をほどこせといいます。これが、若者たちに、どれほどの圧迫と抑圧をもたらしてきたか、よく考えるべきです。

また,経験ある長老たちは,兄弟たちの訓練を若いころから,恐らく十代前半のころから始めることが大切だ,と語ります。

 組織の提案に従ったときにほめるように書かれています。でもこれは、それ以外のことでは、ほめられない、そういう異様な状況を育んでいます。

さらに,与えられた提案を当てはめようとする兄弟の努力を必ず褒めてください。

 組織の部品としての品質だけを上昇させるように教え、徹底的に誘導する。こういう環境に子供たちを長く置けば、子供たちが疲弊して、疲れ、病気になり、嫌がり、反抗するのは、当然のことです。

 この点は、ものみの塔協会の指針は完全に間違っています。若い人たちは、組織の部品ではないからです。

それは,バプテスマを受けた20代から30代の兄弟たちに,会衆の活動に対する積極性を持たせるにはどうしたらよいか,という問題です。(中略)しかし,変えることはできます。ガーデニングをする人は,植物の茎を徐々に真っすぐにして,成長の方向を定めることができます

 人の成長を、ものみの塔協会の都合に合わせてはいけません。心理的な虐待にいたることが多く、パーソナリティ障害をももたらしているということを、自覚すべきです。

 そして、完全に人間を、ものみの塔協会が支配したいという願いが如実に表れています。

会衆での責任を与えられたなら,すぐに進路を変える必要がある,つまり以前とは全く違う方法で物事を行なう必要がある,と考えてはなりません。変える必要があるかどうかは,あなたの願いで決まるのではありません。会衆で必要とされている事柄や,エホバの組織から与えられる指示によって決まるのです。

 結論をいいますと、訓練が必要なのは、若者や子供たちではなくって、「ものみの塔協会の執筆者たち」です。

 キリストのこの言葉が真実です。

彼らは盲目の案内人なのです。それで,盲人が盲人を案内するなら,二人とも穴に落ち込むのです」。