聖書から学ぶ「大酒を飲むこと」
ものみの塔協会への批判も、たまっていた分は、だいたい吐き出しました。しばらくは、幅を広げて、三つくらいのテーマで書いていきたいと思います。「聖書から学ぶ」「一般的な話題」「ものみの塔批判」のみっつのテーマを、1週間にひとつづつくらい書けたらなぁと思います。
「ものみの塔批判」は結構体力と精神力が必要なので、土曜あたりに、「聖書から学ぶ」は、月曜日あたりに、「一般的な話題」は、木曜日あたりに書けたらなぁと思います。
今日は聖書から学ぶ、大酒を飲むことです。
酒は安全か?
僕は今30代半ばですが、僕が大学生くらいのころは、酒の席で、酔っ払うことが、ひとつの雰囲気になっていて、酔っ払えない人は、ノリが悪いと蔑まれるような感じがありました。
また、現代の日本では、酒が飲めること、酒につきあえることが、営業のひとつのステータスともなっています。酒を飲むことによって、営業は、人脈をつくり、それが得意な人が、出世するというのが、良くある会社の風景ですね。
僕は、これには、疑問を持ちはじめていたので、エホバの証人の道徳基準に惹かれることにもなりました。大酒を飲んで、馬鹿騒ぎしなっくても楽しめるじゃないかという感じで。
酒の飲みすぎは、まったく安全ではありません。まず、肝臓に負担がかかり、肝臓病や成人病の原因になります。また、過度のアルコールは、脳に対しても悪影響があることがわかっています。アルコール中毒は、怖い病気で、一度なってしまうと、二度とアルコール中毒から回復することはできません。酒を完全に断ち切るしかなく、適度に飲むという行為を行うことが、できなくなってしまいます。
また、過度に酔っ払うと、言動が、粗暴になります。けんかも起こります。また、駅のホームの転落事故の65%は、酒に酔っ払っていることが原因で起こります。急性アルコール中毒で、死ぬこともあります。一気飲みという日本の悪い風習もいまだにあります。
ノーは、ノーといいたいものですね。そのことは、僕は、子供ができたら、きっちり伝えたいと思います。
聖書にはなんと書かれているか
聖書では、酒自体については、悪とみなされていません。聖書では、酒は、ぶどう酒の形で、登場し、それは地の産物として、肯定的にとらえられています。ぶどう酒は、神への捧げもののひとつでもあります。ぶどう酒のよさを、表現する聖書の言葉はたくさんあります。
喜びを持って、ぶどう酒を飲め
行って,歓びをもってあなたの食物を食べ,良い心をもってあなたのぶどう酒を飲め。[まことの]神は既にあなたの業に楽しみを見いだされたからである。
(伝道の書 9:7)
しかし一方で、飲みすぎの危険についての警告もあります。
酒を多量に飲むものの仲間に加わってはならない
ぶどう酒を多量に飲む者や,肉をむさぼり食う者の仲間に加わってはならない。酔いどれや貪欲な者は貧困に陥り,眠気はただのぼろ切れを人にまとわせるからである。
(箴言23:20)
遅くまで、酒に身を燃やすものたちは災い
酔わせる酒を求めるためだけに朝早く起きる者,遅くまで夕闇の中でだらだらと[時を]過ごし,ぶどう酒に身を燃やす者たちは災いだ! 彼らの宴には必ずたて琴と弦楽器,タンバリンとフルート,そしてぶどう酒がある。しかし,彼らはエホバの働きを見ず,そのみ手の業を見なかった。
(詩編 5:11-12)
要約
酒を飲むことに関する記述を要約します。
酒は良いものだが、慎んで飲め。