ただエホバに反逆することだけはしてはなりません
イスラエル国民がエジプトから脱出して約束の地へ向かっていたときに、多くのイスラエル国民が自分の神であるエホバに対して不平や不満を述べました。
「こんなところにつれてこられるよりは、エジプトの地や荒野で死んでいたほうがよかった」とか「リーダーを立ててエジプトへ帰ろう」などといった不満をモーセやアロンに対して述べます。
そんなときに約束の地を見てきたヨシュアとカレブはイスラエルの民に対してこのように述べます。
ただエホバに反逆することだけはしてはなりません。
(新世界訳聖書 民数記14章9節)
イエスも同じような見方をしていいて「(エホバの)聖霊に対する罪だけは許されません。」と述べたことがあります。
聖書を学ぶとエホバの最大の特質は愛ですが、裁きを行う裁き主としての権利を持っているということも学びます。
たとえば、現実の生活で考えてみると、裁判になったとときに、あなたは裁判官に反逆して無罪を勝ち取ることができるでしょうか。裁判官の見方が間違っていると主張しても、きっと良いものをえることはできないでしょう。
エホバ神はすべての人類に対する裁き主です。最終的には、救いはエホバの判断にかかっているというのが聖書の見方です。ただ憐れみをもたれる神にかかっているということです。
ですから、ヘブライ語聖書(旧約聖書)においても、ギリシャ語聖書(新約聖書)においても、聖書のメッセージは、裁き主である神に反逆してはなりませんというメッセージを伝えています。