舌は火です

 人と話すということはとても楽しい経験ですが、注意していないとすぐに邪険になってしまうということもあります。自分では悪いことを言っているつもりはないのに、相手にとってはすごく傷つくことだったということはよくあることではないでしょうか。

 いじめなどの場合も同じで、自分は冗談を言っているつもりでも、相手からすると嫌がらせに思えるかもしれません。教師と生徒の場合も同じで、教師のほうは普通に教えているつもりでも、生徒の場合は高圧的に感じたり、無理やり理屈をつけているように感じたりすることもあるかもしれません。

 エホバの証人の場合には、何か提案や助言をする場合にも、相手がどのように感じるかということについてよく考えて、エホバへの祈りを十分行った後で行う必要があります。相手を気遣い、聖書や出版物に基づいていて、相手の関心を良く見極めてから、助言するということが、教える立場にいる人には求められていることです。

 ヤコブの手紙という書物の中には、話をするときの注意点を促すために、以下のような表現で舌について書かれています。

ご覧なさい、ごく小さな火が何と広大な森林地帯を燃え上がらせるのでしょう。それで、舌は火なのです。
(新世界訳聖書 ヤコブの手紙3章5節)

 舌は火のようで、小さな火でも森林全体を燃やしてしまうような恐ろしさがあるということが書かれています。きっと小さな発言が、たくさんの人を傷つけて大きな影響を与えるという経験をしたことがある人も多いことでしょう。聖書には2000年以上前に、このようなことに注意をするようにということが実は書かれているんです。

 聖書は古くて新しいといわれるのはこのような理由です。人生のハウツー本がたくさん出版されていますが、人生をよく生きるための最善の書物は聖書です。神は人間を創造されたので、人間が何を必要としているかを良くご存知だからです。

 聖書で薦められていることをよく当てはめてみるならば、生活上で経験するたくさんのわずらいを、最小限にとどめて生活することができます。