実際に愛を示すということはどういうこと?

 愛を示すという行為は時には誤解を与えてしまうこともある。自分の愛を示すということは、相手が愛を感じるということにはならないことはよくあることだ。

 またこうしてあげたらよいに違いないという思い込みは、時には愛とは反対のほうに向かうこともある。相手への気遣いがないと相手は愛を感じることができない。

 エホバは愛を示すことについてどのように見ておられるでしょうか。愛を示すという行為にはどのような態度が求められるのでしょうか。聖書が示していることを見てみましょう。

愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。
(新世界訳聖書 コリント人への第一の手紙13章4節)

 これはパウロが語った言葉ですが、聖書が述べる愛の特質をうまくまとめたものになっています。

 まず辛抱強いということ。これは自分と考え方が異なる場合でも、いらだったり、取り乱したり、声を張り上げたりしないということです。辛抱強さを示すことで、相手を尊重することができます。

 次に思い上がらないということも大切です。つまり聖書の基準でいえば、たとえば「自分たちが正しいことを教えてあげている」という思い上がった態度をエホバは喜ばれないということです。

 わたしたちエホバの証人は、国旗への敬礼や祝祭日に参加しないという信念を、エホバへの愛ゆえに持っていて、信条について理解していただきたいと、いつも思っています。

 お互いが不快にならないような形で話し合えるのが一番良いので、わたしたちは特に振る舞いに気をつけなければいけないと思っています。