自分を偶像から守りなさい

 聖書にはこんな訓戒があります。

 子供らよ、自分を偶像から守りなさい。
(新世界訳聖書 ヨハネの第一の手紙5章21節)

 エホバの証人はこの聖書の言葉に注意を払っているので偶像を避けます。偶像というのは、具体的にいえば、宗教で利用される像であったり、崇拝の対象となっているものです。国家崇拝や人物崇拝につながる行為も避けます。

 多くの人はこれをエホバの証人の制限や規制と考えるようです。またエホバの証人を見て制限の何かと多い宗教だと感じる人もいます。ですが実際には、宗教的な制限があるから守るのではなくて、神への愛を動機としています。

 たとえば、あなたにつきあっている恋人がいたとしましょう。あなたの恋人はぜんそくを持っていることがわかりました。汚れた空気を吸うとぜんそくがひどくなってしまいます。

 あなたは、悪いことにタバコを吸うという習慣を持っています。タバコをやめてほしいと恋人からお願いされます。あなたならどうしますか。

 あなたが恋人を愛しているのならば、タバコをやめるという選択をするのではないでしょうか。愛している人のことを思い巡らして、タバコをやめるという自分にとっては難しいと思えることを行おうとするのではないでしょうか。

 タバコを吸わないということを規則のように感じたりはしないでしょう。

 私たちエホバの証人も同じようにエホバを愛しています。それで、偶像を避けていなさいというエホバの言葉に思いを向けます。偶像を避けるという状態がとても難しいと思えたとしても、エホバへの愛を動機として、偶像にはかかわらないという決定をします。

 子供たちに教えるときには、子供たちがそれを規則のように感じてしまうということは、おそらく避けることはできないでしょう。子供たちが自分の心で考えるまでには時間がかかります。幼いときは親の言うことを素直に聞くでしょう。

 でも中学校や高校生になれば自分の頭で考えて決定をしたいと思うようになるでしょう。将来何を選ぶかという決定について思いめぐらす時期がきます。

 そのときに子供たちが神の愛について理解する助けを差し伸べるのは大切なことです。今までは規則のように聖書の教えを教えてきたけれど、実際は神の愛に基づくものだということを子供たちに説明する必要があります。

 そして、子供たちと十分な時間をとって話し合う必要があります。子供たちがびっくりするようなことをいったとしても、しっかりと耳を澄ましてその言葉を聞くのです。

 忍耐強く聞いて、辛抱強く冷静さを保って話をするなら、子供たちは親の態度から神の愛について学ぶことができます。

 もしただ叱るだけであったり、強制しようとするならば、子供たちは神の愛について何も学ぶことができないままになってしまうでしょう。エホバの証人になる決定をしたとしても、神への愛ではなく、債務感にさいなまれてしまうことでしょう。